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zoom RSS 舞鶴要塞遺構を探検する(2) 瀬崎 博奕岬電灯機関舎跡

<<   作成日時 : 2016/04/24 15:00   >>

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昼からは瀬崎地区にある博奕岬電灯機関舎跡に行く。
灯台へ至る道の途中の側道を少し入ったところの藪の中に突然、煉瓦壁が出現する。

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電灯機関舎とは、探照灯へ電気を供給する発電所である。
明治42年竣工
内部はモルタル壁がきれいに残っている。
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床には発電機が据えてあった架台らしいものが見れるが、すでに木々が侵入をしていてはっきりわからない。
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窓の木枠は朽ちずにきれいに残っている。
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裏手 電線の取り出し口、碍子の留め金具らしきものが見える。
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石材の門柱 1対しか残っていない。周辺には石の柵柱も残っている。(ほとんどが半分で折れている)
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内部には、鉄製の建物の部材と思われるものやサイダー瓶が残されていた。少なくとも半世紀以上前には「モノ」としての「生命」があったものだと思うと、私が廃墟めぐりに魅かれる意味が分かった気がした。
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さらに下ったところには、兵舎のような建物の基礎が散在している。
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これは、何か釜戸のようなものの残骸である。
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地区内には渓流があり、それを横断するために架けられたアーチ橋
わずか3mほどのスパンであるのに、面倒なアーチ構造を石積みで作っている。
地覆も丁寧に石で作ってあり、まるで庭園に造られた橋のようである。
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その近辺で目を引くのが円筒状の構造物
井戸のようでもあるが口径60cmほどで、どうも渓流からあちこちに導水しているマンホールのようなものでないかと思う。
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これなどは水面が見えているが、地下水位としてはかなり高い。下部でカナートのようにつながって導水しているのではないかと思う。
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これは厠(便所)
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ほとんど使用されていないのではないかと思われるほど、きれい
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小道を海岸まで降りると、荷揚げなどに利用されたと思われるコンクリート護岸が残されている。
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電灯機関舎は明治35年に一度竣工したが、明治40年に災害により被災し、場所を移転し明治42年に復旧したとある。付属の施設や周辺の整備は、大正6年に終わっている。

今回の要塞遺構探訪は、Nさんの手引きによるところが大きい。
また、参考書までいただき、感謝いたします。




いただいた参考書はアマゾンで購入可能




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