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zoom RSS 兜沼郷土資料室を訪れる(礼文島紀行§3)

<<   作成日時 : 2016/07/30 13:00   >>

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35年ほど前に兜沼へ来たことがある。
再び訪れると、湖畔に美しいキャンプ場ができていて、のんびりするにはうってつけのところだ。
駅近くの街中を歩くと「兜沼郷土資料室」というのがあったので入ってみた。

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ここはもともと、兜沼郵便局であった建物を資料館にしている。
展示物は、いわゆる民俗資料で、大正から昭和にかけての生活用品が主である。

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品目は多種多様にわたっていて、結構保存状態のいいものが無造作に並べられている。
もとの所有者が長年丁寧使って愛着のあるものを、ここに寄贈したということがなんとなくわかる。
展示物につけられた説明も、荷札に鉛筆書きで直接展示物に結び付けられているものが多く、その説明文も文語調で収集者の人なりが見えるようである。

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これは「ぐげ台」という、裁縫に使う道具であるが、簡単な造りでありながら日常使われたのにかかわらず、丁寧に使われていたのだろう。完全な状態を保っている。
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ハエ取り器
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イタチ取り
はじめて見る。どのように使ったのだろうか。イタチはニワトリなどを襲う駆除対象獣だったのがわかる。
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バナナ籠
大正〜昭和初期のものと思われる。台湾バナナをこれに入れて輸入していた。
バナナが入って北海道まで持ってこられたものか、籠だけを譲り受けて農作業用などに利用したのかわからないが、本来消耗品でありながら、原型を保って残っているのは貴重である。
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紡毛機とミートマッシャー(右)
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旧陸軍防寒用外套
「八甲田山死の彷徨」に出てくるのと同じようなスタイルである。素材は綿の綿入れのようであるが、このようなものでも当時は高級な防寒具であったのだろう。
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資料室の建物の横には、平成14年に建てられた豊富町入植100年の碑があり、これに兜沼集落の歴史が記されていて興味深い。
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それによると、「明治35年(1902)に岐阜県人の梅村庄次郎がこの地を訪れ、いったん帰郷し、翌年、同郷人12戸を連れて開拓に乗り出したが、困難筆舌に尽くしがたく、半年で梅村氏を残しこの地を去った。残された梅村は、以前からこの地に在住していた音吉と2人で開拓を続け、この地の礎を築いた。」とある。


昭和16年に建てられた古い開拓記念碑 裏には歌が3首刻まれている。兜沼部落会建立
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昭和6年 修徳尋常小学校の運動会のプログラム
おどろくべきことに、プログラムの演目は82もある。
さらに一般参加の5つの追加徒競走が適時ありとある。
どれほど多くの児童がいたのだろうか。
演目の題名も「南洋スキー」とか「運命如何」とか興味深いものが多い。

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サロベツ原野豊里開拓10周年の手ぬぐい
昭和33年とあるから、戦後の昭和23年に緊急開拓でこの地に入った人々のものなのであろう。
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小さな資料館であるが、その展示物はもとの所有者の生活そのものであり、それらの集合体は、北海道の北の端の街の盛衰を物語っているような気がする。

観光ガイドには載っていない場所であるが、機会があれば立ち寄られることをぜひお勧めする。



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