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zoom RSS 日本のアジールを訪ねて(筒井功)

<<   作成日時 : 2017/03/12 02:40   >>

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この本で言う「アジール」とは、非常に狭義で、日本の中世〜近世の漂泊民の住処ということである。
いわゆる「セブリ」と呼ばれた場所のことを述べている。「セブリ」という言葉は初めて聞く。はたしてこれはアジールと同義であろうか。
むしろ、「サンカ」と呼ばれた漂泊民についての、全国各地のルポが詳しい。
そういった意味で、漂泊民について、わずかに残る各地の聞き取りを記録していて興味深い。


近代国家にとって、「漂泊民−住所不定−各地を放浪しながら犯罪の機会をうかがう危険な無籍者」といった図式がいつか出来上がり、警察が「サンカ」という言葉を内部用語として扱った時から、全国に広まった。

岡山県警部内誌「警察誌」1915年に掲載された「山窩査調表」は興味深い。
672人を対象とし、その職業を挙げている。そのうち川魚業が273と非常に多く、乞丐(カタイ、きっかい、こつがい、ほいと こじき)80、無職79、靴直し52、洋傘直し22、辻占売15、箒売15、玩具売15、竹細工14、ラウ仕替14、石鹸売12などとなっている。

これは、「サンカ」を指すのでなく、警察が犯罪取り締まりにあたった際の職業を羅列したものに過ぎないと思われる。


筆者は巻末で「それら(サンカやその居住地)が日本から一斉に姿を消したのは、この半世紀か、せいぜい一世紀のあいだのことであった。」と述べているように、ある意味で日本社会の均一化が急速に進み、民俗的に失われたものも多いと思う。



少し忘備と考察


農民 定住民に比して、それ以外 すなわち漂泊民が多数いたことは多くの民俗学の本に詳しいが、私の幼いころの記憶でもいわゆる「サンカ」という漂泊民は、昭和30年代ごろまでは各地で存在していたのではないかと思う。子供の目からも、蓑や簓を作るのを生業としたり、川魚や野鳥を捕ったりして生計を立てている人々は、確かに周りにいた記憶がある。私の見た彼らは、すでに漂泊することもなく、山中の掘立小屋のようなところに住んでいた。それがサンカと呼ばれた人々であったと同一かはわからないが、まだ、昭和30年代の中ごろまではそういった人々がいたという記憶が子供心に残っている。


そもそも「サンカ」という言葉が何を指すかは疑わしい。また、サンカの語源や定義について、いろいろ解釈をしてもあまり意味のないことのような気がする。



「言うことを聴かないと、子取りにやるよ」とか、親に脅された「子取り」とは、ひょっとすると漂泊民のような人のことを指していたのかもしれない。

漂泊民となったのは、定住できない理由があった場合もあるだろうが、むしろ、生業が狩猟であるがゆえに、あるいは製品の材料採集のため、漂泊を住処としたと言えるのではないか。




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