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zoom RSS オーストリアの歴史

<<   作成日時 : 2017/06/25 14:12   >>

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ウイーン旅行を計画している。そして、いつものように事前に歴史を少しまとめておく。
ウイーンそのものはハプスブルグ家の都としては知ってはいたが、オーストリアという国家のことはあまり知らなかった。今回興味を引いたのは、あのヒトラーナチスの萌芽が、世紀末のウイーンにあるということだった。



オーストリアという国の名は、「東の領域」を意味する「オスタリキ」が語源。
神聖ローマ帝国のオットー3世が帝国の法を、「東の領域」にも適用するとしたのが996年。
オーストリアという国家はな、くハーベンベルグ家の支配地の一部に過ぎなかった。

1246年 ハーベンベルグ家断絶

1521年 神聖ローマ帝国分割 カール5世は弟フェルナンドにオーストリアを委ね、フェルナンドはスペインからウイーンへ移る

1529年 オスマントルコ ウイーン包囲

1740年 マリアテレジア カール6世の家督相続

1770年 マリーアントワネット ルイ16世と結婚

1780年 マリアテレジア死去

1806年 ナポレオン皇帝に対抗して、フランツ2世が「神聖ローマ皇帝」を退位し、フランツ2世が「オーストリア皇帝」(フランツ1世)を名乗ったことで、はじめて国家名としての「オーストリア」が現れる。

1812年 ナポレオン ロシア遠征

1918年 ハンガリーの離脱により、ドイツとは別の「オーストリア」が成立

1938年 ヒトラーが合邦 「オストマルク」と呼ぶ

1955年 中立国家「オーストリア」として独立 「オーストリア人」という国民意識ができるまで時間がかかった。


ウイーン世紀末文化

オーストリア・ハンガリー二重帝国の問題の一方で、首都ウィーンは都市改造が起こり、リングシュトラーセ(環状道路)などが建設される。一方、帝国崩壊に反し、きらびやかな芸術活動が展開される。帝国内の人の移動自由が、ウィーンに立身出世の人を集め、文化経済が花開いた。
その担い手は、ユダヤ人であったが、反ユダヤ運動も強くなっていく。
カフェ文化 ヨハンシュトラウス、マーラー、フロイト、ウンゲルトシュタイン、マッハ(音速の単位に)、クリムト

ウイーン万博の前夜では、バブルが起こり多くの架空投機が行われたが、1873年の万博開催の最中にバブル崩壊する。これを気に反ユダヤ運動が巻き起こる。こうして帝国内の民族諸対立の中で、ヒトラーを迎えることになる。

ヒトラーは、青年時代ウイーンにいて、大学受験を失敗し、さらに受験資格のいらない芸術大学にも2回失敗し、その後、オーストリアの徴兵を逃れるため、ミュンヘンに逃亡する。その時にすでに反ユダヤ主義者となっている。その際の師として、反ユダヤのキリスト教社会党のカール・ルエガー、ドイツ民族主義のゲオルク・シェーネラーを挙げていることに注目。




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