スプートニク号の思い出 sputnik anniversary 50th

今日はスプートニク号打ち上げ50周年だそうだ。
子供のころ、「宇宙すごろく」なんていうものがあって
スプートニク号が一番上に描かれていたのを思い出す。
湊川公園の角の「人工衛星饅頭」はきっとそのころの時代のものだ。

画像


ソ連の科学技術は、アメリカの科学技術と
ちょっと違ったところがあって
たとえば、「電力を電波に乗せて遠方に送る」とか
なにかSFまがいの夢があった。

まだ、科学が夢見ていた時代の大きなニュースが
スプートニク号の打ち上げだった。

あれから後、神戸の街中でも、
夏の夜、物干し台に寝転んで夜空を見ると
多くあげれれた、人工衛星の軌跡がいくつか見れた。
どれほど多くの科学少年たちが、
人工衛星を打ち上げる仕事をしたいと思っただろうか。

あれから50年
科学の夢はわれわれにどんな幸福をもたらしたのだろうか。


スプートニクといえばこの本も思い出す。


スプートニクの恋人 (講談社文庫)
スプートニクの恋人 (講談社文庫)








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この記事へのコメント

beret-east
2007年10月07日 22:05
あのころ、社会主義と科学が、なんとなく重ね合わせてイメージされていた時代だったですね。1976年に大学の教養で初めてロシア語を習ったとき、その教科書は「ナウカ」という会社の出しているものでしたし(ナウカとは科学という意味)、ロシア語の講義のシラバスには「科学技術の言語として重要・・・」なんて書いてありました。岩波の理化学辞典にもロシア語訳が堂々とならんでいた。その教科書を出版したナウカ社は神保町にあって、1980年代にかなり熱心にロシア語を勉強していた頃、よく雑誌や本を見に行ったところ。あのソ連製の印刷物特有のにおいがなつかしいです。つい先日、数年ぶりに神保町の辺りを歩いていたら、そのナウカ社のあったところは、なんと居酒屋に・・・唖然としました。科学と社会主義、実は関係がないもの、その両方の今の姿はこんなものになってしまった・・・。ロシア語の教科書の最初のフレーズは、ナウカ-シーラ:科学、それは力なり。
2007年10月07日 23:35
そういえばberet-eastさんは外国語はロシア語専攻でしたね。「科学、それは力なり」ですか。あれから半世紀人類の科学は何を追い求めていたのでしょうか。
科学の夢、社会主義の夢。 
そして、今や居酒屋になった科学という名の本屋。
居酒屋というのは、なかなか現実的で、ある意味で納得できる話ではないですか。笑

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