垂水日向遺跡 や 宝篋印塔(遊女塚)  諸々  

垂水に買い物に出かけたついでに、ベレー帽してみる。
天気がとてもいいので、以前行った五色塚古墳から
明石海峡を見ようということで、
歩いていると、「宝篋印塔(遊女塚)」なる立て札に出くわす。

それは、墓所の中に、高さ4mもある宝篋印塔(ほうきょういんとう)であった。
宝篋印塔は五輪塔などと同じ仏塔の一様式で、
各地の寺院などで見かけることがあるが
これほど巨大なものは見たことがない。
アユタヤなんかにある仏塔をほうふつとさせる先端部だ。

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そばにあった説明文によれば
1332年に士忠禅師により建立され、
元は山陽道の沿道にあったものを
明治の鉄道敷設に際し、この地に移設したとある。

1332年といえば、鎌倉末期、
その前年に「元弘の変」があり
後醍醐天皇が隠岐に流された年である。
そのような動乱期に、この塔が建てられたのか。。。
士忠禅師は何を願って建立したのだろうか。

しかし、別名、「遊女塚」とあるのは何なのだろう。
何か後の時代の人が、物語を作ったのだろうか。

あと、そばに「耕地整理碑」があった。
大正7年から昭和10年にかけて
垂水町西垂水・山田の106haを耕地整理した竣工碑であるが
今、付近は宅地が広がるばかりである。




五色塚古墳に登り明石海峡を眺める。
天気がいいので、はるか、紀淡海峡まで見渡せる。

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この古墳の大王が大阪湾岸の海上交易を支配していたことが
感じ取られる景観である。
ただいつも残念なのは、海辺のマンション群や
最近出来たポルトバザールの駐車場が視界に入ることだ。

古墳の管理事務所に立ち寄ると
付近の遺跡の説明パネルがあった。
その中に「垂水日向遺跡」というのがあり
縄文人の足跡の説明があった。

見ていると事務員のおばさんが
「この実物は、垂水COOPのある地下にありますよ」と教えてくれる。




さっそく帰り道、垂水COOPのある地下に降りてみる。
ここでよく買い物をするのだが、
こんなものがあるとは全然気がつかなかった。
地下の吹き抜けの一角に、小さな展示コーナーがある。

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この垂水レパンテビルを建てた時の調査で
8000年前の縄文時代の遠浅の干潟に残された足跡が
地下5mから発掘されたそうである。
わずか1-2mmの潮汐で堆積した泥が、
8000年前の人の足を記録していたのである。

この「垂水日向遺跡」には縄文から弥生、中世にかけての
遺跡が重層的にあったようだ。
年代指標として有名な6400年前の「喜界アカホヤ火山灰」も展示されている。

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いやはや、買い物のついでが、十分ベレー帽遊びをしてしまった。
腹も減ったので、おいしい鮨でも食って帰ろうっと。



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この記事へのコメント

zenstone
2007年10月22日 09:14
僕も先週垂水の家内の実家に行ったついでに自転車で五色塚古墳まで懐かしセンチメンタルポタリングをしましたよ。幼少期から高校時代まで暮したオンボロ官舎はすっかりきれいな家に変ってたり、よく遊んだ友達の家の表札の名前が変わってたり、カマキリ捕りをした空き地が無くなってたり、肥溜めのあった畑が駐車場になってたり、とゆっくり浦島太郎的気分で五色塚古墳に約40年ぶりに着きました。40年前は草ぼうぼうのマムシ注意の立て札のある立ち入り禁止の場所だったのに。事務所のおばさんにその頃のモノクロ写真のパネルを見せてもらい、そうそうこんな感じでしたとお話をして、初めて古墳にのぼりますとやはり聖地を感じますね。それよりびっくりしたのは海の反対側の眺め。180度ぎっしり住宅のパノラマ。40年でことごとく空き地の原っぱや畑は住宅になったんですね。「もうかえるはいないよな」なんてわけのわからない独り言をつぶやきながら、五色塚古墳をあとにしたのでした。
それはそうと美味しい寿司屋さんはM屋さんのことですか?それとも垂水に密かな美味い寿司屋あるんすか?あるんでしたら教えて下さいよ。
2007年10月22日 21:23
五色山はほんとに山だったのですね。
行ったのは、ご存知のM屋でなく、垂水で行きつけの鮨屋を作りたいと思って、あちこち廻っております。カウンター鮨は、必ずしも味だけでなく、大将との相性も関係しているので難しいところです。この日は駅のすぐ北の道沿いの店を偵察しました。

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