国家という迷信 (竹内靖雄) を読む

このごろ「国家」とは何かということにこだわっていて
読んだ本のひとつ。
国家とは国民から税金を徴収して
サービスを提供するというシステムである。
というのがこの本の出発点である。

この本によると
「個人の生活を良くしてくれるのは国家である」
「国家はそのために必要な改革を行い
究極においては万人に平等に幸福を提供する」
これらは国家に関する迷信であるという。

確かに我々は、理想の国家があるのなら
そう思いたいし、
いい子ちゃんの民主主義教育では
そう教えられてきたではないか。

しかし、このごろの地方自治体の財政破綻や
企業を含む日本型システムのダッチロール状況を見ると
私だけでなく、みんな
やはりそれは迷信に過ぎないのだと薄々感じている。

国家の幻想を明らかにしてくれる本だ。★4


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以下メモ


「国家という幻想」

トマス・ホッブスは「リバイアサン(国家)」で
国家は人を食う巨大な怪物と言っている。
スターリンのソ連や毛沢東の文化大革命や
いまの北朝鮮は、リバイアサン国家であり、

明治以降の大戦を行った日本はそうだったが
今の日本は国家の存在が希薄になり
国家は個人のご機嫌をとって
支持を得ることなしには存在できなくなっている。



「世界国家としての帝国」

帝国はその時代の世界と呼ばれる、
広い市場に対応する世界国家である。
帝国の中には異なる人種、民族、言語、宗教、文化
をもった人々が存在する。

帝国と呼ばれるもの
ローマ帝国、漢帝国
モンゴル帝国
大英帝国
パックスアメリカーナ

帝国になりそこなた明治日本は
第二次大戦を経てアメリカ帝国の属州
となってしまった。


「統一国家としての日本」

日本にはっきりした統一国家が存在したのは
7c8cの律令国家、明治、戦後の日本だけで
それ以外は分立型の国家であった。

統一国家というものは
たとえば、元寇、黒船など
巨大な帝国から吸収合併の圧力や
外国勢力が進出してきた場合の
外圧下で形成される。



「母子家庭国家 日本」

日本は戦後、アメリカ属州となったことにより
平和、高度成長がもたらした豊かさのおかげで
政府におねだりすれば何でも与えられるという
「幼児的民主主義」が栄えた。

国民にとって日本政府は母親のような存在で
自力で他国とも戦うことも辞さない父親はなく、
父親の役目は、アメリカ帝国が肩代わりすることによって
母子家庭国家となっている。

天皇は
隠居して実権のなくなった慈父のごとき父親となり、

政府としての母親は
ますます増えた仕事のために
無能状態に陥り、

懸命にやっているのは
いまや、借金して集めた金を
子供(国民)に分配する仕事だけになっている。



「究極の解決」

政治の市場化

政策が売りに出される。
個人は気に入った政策に投資し
その分、税金が割り引かれる。

国家安全保障も購入できる。
警備保障会社からサービスを買うようなもの。









国家という迷信―超民営化のすすめ

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