「国家の品格」(藤原正彦)を読み「もののあわれ」について考える

ある方に薦められて読む。
国家の品格というものは、
その国の文化なり歴史の重さということだ。

筆者はアメリカでの生活で「論理」で物事を進める手法に傾倒したが、
帰国後、またその後のイギリス生活で
「論理」だけではだめで「情緒」とか「形」というものが
行動基準として重要であることに気づく。

日本ではそれは
「もののあわれ」とか「武士道精神からくる規範」といったものだという。



これは大いに賛成するところだ。
「もののあわれ」ということはどういったことか
説明するにしても「論理的」には説明できない。

あえて「論理的」に説明してみよう。

たとえば、各地を旅して
歴史的栄華の廃墟に佇むとき、
どうも欧米では日本ほど
「もののあわれ」を感じることは少ない。

アメリカはまだ歴史が浅いから、
残念ながらそのような思いを致す場所がないというのもある。
ヨーロッパでは廃墟というより
何回もリストアを重ねて構築物を現役として使っている。
中国に至っては、廃墟をペンキで塗りたてていることもある。

画像

   ローマ古代競技場を劇場としている。(イタリア ベローナ 2003.6)

ところが、
日本では「夏草や兵のどもが夢の跡」なのである。

熊谷直実と平敦盛の物語 「若葉の笛」はまさしく
「もののあわれ」を物語るものとして
ふさわしい日本的な話なのであろう。

画像

   伝 平敦盛首塚 (須磨寺 2005.1)

ヨーロッパの戦場で
笛を吹いている優雅な若武者貴族なんて
考えられない。
もっと彼らは、弱肉強食の
バーバリアンなのである。



ここで考えるのは
「もののあわれ」は精神的な、内的なもので
親から子、子から孫へと伝えられたものであることに気がつく。

私自身、亡くなった祖母や父から受け継いだ話の中に
「もののあわれ」が多く宿っている気がする。


筆者は最後にこう結んでいる。
これは日本人独特の文化であり
これに日本人は気づき
新しい世界観として世界に問う時期が来たと。


確かに、この4世紀ほど世界を支配した欧米の教義は
手詰まりを見せている。
環境問題や人種、宗教問題の解決の糸口は
日本人が語り継いできた「もののあわれ」
にあるのかもしれない。







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しかし、崇高な気分になった後で
現実的な、蛇足になるが
「武士は食わねど高楊枝」といっても
精神性だけでは食べていけないしなあ。

筆者は裕福な家庭の子息(新田次郎の次男)という立場で
この話を書いていることを頭の片隅におきたい。











平家物語 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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