「渡来の民と日本文化」(沖浦和光・川上隆志)を読む

播磨に勤務して何年かが過ぎた。
この地に残る、一種独特の技術風土を感じていたが
それが何からくるものか考えていた。
この本を読んで、その疑問が解き明かされた。

その技術の担い手となったのは、大陸からの渡来人である。
渡来人も大きく分けて2種有り
畿内の中央政府に属したものと
その外縁部や畿内でも在野に居住したものがある。

どうも前者は招聘されてきた渡来人で
後者は亡命してきた渡来人だったらしい。

播磨にはかなりの帰化人が移り住んでいたようだ。
彼らはその技術を持って経済活動を行った。

播州平野による農耕
砂鉄と森林資源による製鉄
製塩
石材
皮革
があげられる。


昨年の秋に訪れた坂越大避神社の秦氏はまさしく渡来人である。
あのときの予感はやはりあたっていた。

秦氏はどうも氏族的な色彩は薄く
どちらかといえば、
製塩、鉱山、水銀採取、土木建築、農耕、養蚕
などの技術を大陸からもたらした
技術集団的なものだったのかもしれない。

各地にある秦氏の伝説は
あの各地にある空海伝説と似通ったものかもしれない。

以前、淡路島の神社を調べたとき
八幡神社が多数を占めていて疑問に思っていたのだが
九州宇佐八幡宮は秦氏の信仰拠点であるということと
淡路島の畿内からの位置関係(播磨と同じ)
淡路のたたら地名の多さなどを考えると
この疑問が解かれた。

兵主の神-アメノヒボコ-穴師-秦氏という関係もあるようだ。
穴はたたら炉の穴である。
飾磨郡安師の里はたたら地名である。


他にも陰陽道の蘆屋道満や安倍晴明
ヤブ医者と呼ばれた在野の医者
広峯神社の御師
など

いくつもの文化が流入した
古代日本の面影を探る旅の
よきテキストとなる本であった。


















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