知床紀行(松浦武四郎) を読む

知床行きを計画しているので、
150年前に知床探検をした松浦武四郎の紀行文を読んでみる。
知床岬へは3回到達している。
筆書きによるやかなり詳細なアイヌ地名の入った地図
風景画、植物画、動物画が挿入されている。

現在との対比ができれば面白いかもしれないが
それもかなわないので、摘み読みにとどめる。

北海道のなずけ親は松浦である。
蝦夷地と呼ばれていたものを
明治2年に北海道とした。
「夷人自らの国を加伊という」旨の熱田大神宮縁起に基づくもので
「北のアイノの国」という意味の
「北加伊道」からなる。

また、場所請負制で搾取されている
アイノの開放を幕府へ訴えたが無視されている。

明治になり、政府の蝦夷開拓御用掛に任命されるが
アイノ開放の訴えが聞き入れられず
辞職願を出している。

晩年は各地を遊行し、
亡くなる前の70歳で大台ケ原、富士山登山を行っている。

伊能忠敬、間宮林蔵、近藤重蔵ほどには知られていないが
冒険旅行に生きた人である。



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松浦武四郎 略譜

1818 伊勢須川村(松阪市)郷士の四男として生まれる
1833 全国遊歴
1838 長崎で僧侶となる 
     平戸郡多助浦宝曲寺の住職
     朝鮮へ渡ろうとするが壱岐対馬で断念
     平戸郡粉引村千光寺住職
     還俗
1845 松前へ渡る
     知床探索
1849 クナシリ エトロフ
     蝦夷日誌35巻
1855 幕府御雇 
     蝦夷、南樺太
     廻補日記
     東西蝦夷山川地理取調御用
     丁巳・戊午東西蝦夷山川地理取調日誌85巻    
1869 明治政府  蝦夷開拓御用掛に任命
1870 辞表 免職
     各地を遊行
1888 71歳 脳溢血で死去



知床紀行
北海道出版企画センター
松浦 武四郎


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