自死という生き方(須原一秀)


武士道の「切腹」の意味、
「葉隠」の「死ぬことと見つけたり」の意味合いを
分かりやすく解いている。



葉隠は官僚的江戸幕藩体制の中で、
戦国の一国一城気風を持った武士が
ロボットではなく人間らしく、自尊心と主体性を維持しつつ
生抜くための知恵の書だった。

主人のわがままは、惚れた女のわがままと同じである。
いつでも死ねる(切腹)ことを内に秘めることによって、
ロボットのように事務的にルーティーンを処理続けていても
男としての自尊心と主体性を確保できる。

武士は「死にたがり男」になることによって、
どんな状況でも自尊心と主体性を維持し続けることができる
というのが、葉隠れの真髄なのだ。



死に至り、あれこれ考えるのは男らしくない。
あれこれ周辺のことを考える中途半端さが
「小市民的」になり
結局は官僚的幕藩体制に取り込まれて
武士でなくなってしまう。




「西洋型個人主義」は
教会や牧師を介さない
神と個人との直接交流という形で発達した。

「武士道的個人主義」は
戦国武士の命がけで自分の領地を守ろうという
「個人主義的・戦士的・暴力的気風」が
幕藩体制の平和と秩序の法との対立の中で発達した。

それがここの武士の心に「武士道」として育まれ
集団主義的幕藩体制と個人主義的名誉という
対立関係を克服するための
様式、儀式として発達したのが
「切腹」であった。




さらに筆者は、老年の自死を薦める。

老年の苦境は
戦国武士が自分の領地を取り上げられ
官僚的幕藩体制に組み入れられて生きることと似ている。

心身の老化、病気、死といった体制の中で、
自尊心と主体性を維持しながら生きるために、
あまりにも人生がわがまま勝手を言って
こちらが誇りと主体性を持ちえなくなったら
直ちに死ぬという態度で生きるのがよい。




簡単に言うなら
老人介護でオムツまでして生きたくはない。
それなら、自死を選ぶというのだ。




自死は自殺ではない。
自決に至らないまでも
その前のレベルとしての自死があってもいいというのだ。





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