用明天皇河内陵 (beret-expedition2009§3)

太子町の観光地図を見ると敏達(30)、用明(31)、推古(33)、孝徳(36)天皇、
小野妹子の陵や墓がある。
これらすべて、6C後半、聖徳太子を前後とする人物。
そのひとつ用明天皇陵を見る。

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用明天皇とは 31代(585-587)
穴穂部間人(はしひと)を皇后とし聖徳太子をもうける。
つまり聖徳太子の父親ですね。

陵は、まったく一般住宅地の中にある。


看板の旧字体が印象的な
「宮内庁書陵部古市陵墓管区磯長原事務所」

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この記事へのコメント

beret-e
2009年10月20日 20:44
天皇陵だらけのあのあたり、古代にはどんな生活が営まれてたんでしょうか。当時の最先端の文化が営まれたんでしょうけどね。
2009年10月24日 23:05
帰ってから年表を繰って、分かったのですが、当時は、蘇我氏と物部氏が対立した大変な時代のようです。
皇室と蘇我氏の系図は入り組んでいて、聖徳太子もその中にあって、用明は在位2年という短さです。
文化というより、権力闘争に明け暮れていたのではないでしょうか。このころの朝鮮との関係なども、調べてみると面白そうな時代です。ひとつどうですか?

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