武蔵国国分寺を訪ねる

beret-estの手引きにより「武蔵国国分寺」跡を訪ねた。

国分寺跡は武蔵野段丘が切れて多摩川に落ち込む場所にある。
現在も段丘の境にはハケとよばれる湧水地があり、
清水が湧き出ている。
国分寺の立地として、やはり水がある場所を選んだのだろう。


国分寺跡から武蔵野段丘を望む。
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すでに段丘崖は住宅地に侵食されつつあるが、
急峻な部分はかろうじて昔の姿をとどめている。
国分寺のあったころの風景がわずかに感じられる。


これが資料館に展示されていた国分寺跡付近の航空写真
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さて、古代武蔵野国は
たいして米が取れるようなところでもなさそうだし、
経済基盤は何だったのか気になるところだ。

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調べてみると、708年、秩父で自然銅が発見され、
めでたいので、年号を「和銅」としたとある。

いわゆる「和同開珎」のことである。
しかし、和同開珎はそれほど流通しなかったようだし、
まだ、貨幣経済より物々交換の時代である。



聖武天皇の「国分寺」建設は
「国家を仏教というイデオロギーでもって統一のてことし
なおかつ、国分寺の建設という土木事業で地域振興を目論んだ」
というのはどうだろうか。

国分寺は僧侶20人、国分尼寺は10人をおいたようだが、
いわゆる地方国立大学のような、地方文化センターのようなものだ。


しかし、武蔵野国分寺は100年ほどで衰退したようだ。


武蔵の各郡から調達した瓦 生産された郡の刻印がしてある
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beret-est曰く
結局、あまり豊かでない土地から
大量の木材や瓦を調達したので、
環境破壊だけが残った。
だれか、当時の環境負荷を試算したら面白いのに。。。



国分寺建設プロジェクトは、
今も昔も、為政者がやりそうなストーリーである。
人間のいとなみは環境破壊の歴史でもある。








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