葬られた王朝(梅原猛)を読む

以前、荒神谷遺跡加茂岩倉遺跡出雲玉造遺跡を訪ねたことがあるが、
確かに出雲にはヤマトに匹敵する古代国家が
あったのだと感じた。
あのときの数々の謎が解き明かされた。

荒神谷、加茂岩倉の大量の銅剣、銅鐸の埋設の意味
加茂岩倉遺跡の銅剣、銅鐸に記された×印の意味
これらを梅原はみごとに解き明かしてくれた。


さらに、興味深い話として

「播磨風土記」に登場する
アシハラノシコオ(オオクニヌシ)とアメノヒボコの戦いは
出雲に対抗する勢力が播磨にあったことを意味するという。

アメノヒボコは韓国から来たことになっており、
古事記、日本書紀では新羅の王子として渡来し、
但馬を根拠としたとなっている。

イワノオオカミもアメノヒボコと戦い、
イワノオオカミを祭るのは播磨一宮にある伊和神社である。

姫路の射立兵主神社には、
伊和神社の神事「一つ山祭」「三つ山祭」が移されている。
射立はイタケル、兵主はオオナムヂのことで、
全国から集まってきた神々を、射立兵主の神と対峙させる祭りである。
「一つ山祭」は21年ごと、「三つ山祭」は61年ごとに執り行われるという。

いずれにせよ、
播磨にはオオクニヌシの勢力範囲であり、
これに大陸からの新興勢力アメノヒボコが対抗したといえよう。

玉造温泉を発見したり、道後温泉にも関係している、
スクナヒコナはオオクニヌシを助けて国づくりをする。

しかし、播磨風土記の埴岡より
オオクニヌシの国がすでに内紛状態となったことを表している。

オオクニヌシとスクナヒコナの喧嘩で
オオクニヌシは糞をせずに、
スクナヒコナは粘土を担いでどちらが遠くまで行けるか
言い争い、結局どちらも我慢できずに
糞を出し、粘土を放り投げたのが、神崎郡埴岡の地である。

埴岡は姫路にいたとき訪れたことがある。
何の変哲もない山間の集落である。



本書は、古代史の新たな興味をかきたててくれた。
挿入されている各地の遺跡を訪ねる梅原の楽しそうな顔の
写真がとてもいい。
梅原は1925年生まれである。









以下メモ

縄文時代以来の日本人のあの世観

この世とあの世はあべこべ
葬式で茶碗を割るのも、
この世で完全なものはあの世で不完全という信仰から

土偶
胎児を宿し死んだ女性像
土偶は腹を裂かれて死んだ女性であり、
妊婦が胎児とともに葬られる時、
妊婦が完全な人間として再生することができるように、
ばらばらにして埋められる。

遮光器土偶
眼のない死体は再生不可能で、
目のある死体は再生可能というアイヌ信仰に類似



竹取物語の意味
藤原不比等 くらもちの皇子のモデル の辛辣な風刺物語
藤原氏批判の書

出雲大社の意味
まつりごと、祭事の主役を物部氏、忌部氏から交代させ
古事記にこめられた藤原不比等の権力独占

聖徳太子の系統 子孫の栄達を考えなかったため絶えてしまう。





葬られた王朝―古代出雲の謎を解く
新潮社
梅原 猛


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