「ウメサオタダオ展」に行く

梅棹忠夫の著作はあまり読んだことはないが、
民族学博物館を企画した人として気になる人であった。


JR茨木駅からバスで万博記念公園へ向かう。
なつかしい万博の噴水の池をそばを通る。

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中学の夏休み、夕刻から万博に行って、
暑さしのぎに池の水に足を浸したことを思い出す。



公園内はちょうどバラの盛り
しかし、ここで寄り道をしてはいられない。
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民族博物館は30年ぶりかの訪問だ。
当時、女の子と来たのだが、
正面玄関の記憶はあまりない。
まあ、それどころではなかったのだろう。
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「ウメサオタダオ探検マップ」を渡される。
ははーん、特に順路はなくて、
これを手がかりに適当に見ていくということだなと思って

しばらく、適当に見ていると
学芸員による展示物解説のビデオ上映のアナウンスがある。
1時間ほどのビデオで途中居眠りしてしまったが、
これで展示物のほとんどが解ってしまった。

あとは展示物を実体験する羽目になってしまった。
ちょっとわくわく感がなくなってしまったが、
まあいいか。





「こざね法」という着想をまとめる手法。

KJ法や南方熊楠の腹稿に類するものだ。
「こざね」とは、よろいを構成する小部品のこと。
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我々も無意識にある手順で、考えをまとめてはいるのだが、
その手法を定型化していないだけで、
それを定型化したのがすばらしいところだ。
しかし、手法にとらわれすぎると、発想がどこかへ行ってしまう。


私も一時、発想のカード化を試みたことがあるが、面倒この上ない。
時間のある人はいいが、私ならこんな面倒なことはしたくない。


コンピュータやネットワークが個人レベルまで浸透した今では、
これらを使った手法の定型化を提唱する学者が出てきてよさそうなのだが。





「ローマ字化」「カタカナ化」

情報のローマ字化を行っている。
漢字では表現があいまいになると彼は考えたようだ。
カタカナかなタイプをブラザーに依頼して開発している。


ローマ字化は
理解できないところがある。






「コンニャク情報論」

情報とはコンニャクのようなもので、
情報活動というのは、コンニャクを食べる行為に似ている。

コンニャクは栄養にはならないが、
満腹感はあり、充足は得られる。

情報も、それが存在すること自体が生命活動の充足につながる。
情報活動が、何かの役に立たなくともそれはそれでよろしい。


然り!





「記録魔」ウメサオタダオ

ウメサオタダオは「記録魔」だと思う。
何でも情報として記録して残したいのだ。
それが彼の本質だと思う。



その萌芽は、中学時代の登山記録や
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高校時代の白頭山探検の資料整理に見られる。
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内モンゴル探検 野帳
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いやー、大ベレー梅棹先生、コンニャクのように情報を楽しませていただきました。













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この記事へのコメント

beret_e
2011年05月22日 16:18
beret_wさん
 カタカナ化とかローマ字化とは何だったんでしょうね。人類の歴史のほとんどが無文字的だったので、本質は漢字ではなく、その音に残っている(特にローマ字化すると子音と母音が分離して音の特徴が顕著)ことを強調するためだったのではと想像しています。
 大ベレーの場合、情報コンニャクで満腹で終わらずに、膨大な情報コレクションから知識とか知恵とかを見出すのでしょうね。小ベレーは、コンニャクで舌鼓を打っておしまい。寒川旭「地震の日本史」(中公新書)は一見こんにゃくなんですが、何かが見えてくるような・・・。
2011年05月23日 22:59
うーん、情報コンニャクで満腹満足だけでないというところが、大ベレーたる面目なのでしょう。ウメサオ先生は、それを承知で、たいして役に立たない情報収集の楽しみもあるということ言いたかったのだと思うのですが。
地震考古学の本ですね。その気になって調査すれば、ハザードマップができそうな気がする。

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