西谷墳墓群と出雲弥生の森博物館を訪ねる (四隅突出型墳丘墓)

「四隅突出型墳丘墓」は、弥生時代後期に作られた墳墓の一様式である。
今回の探検の一つは、この墳墓の実物を見ることにあった。
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出雲空港でberet-estをピックアップして、
「出雲弥生の森博物館」に直行する。
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この博物館は、西谷墳墓群に隣接して建てられた、
平成22年にオープンした新しい博物館である。

入館料が無料というのに、
内部の展示や資料が充実していて大変うれしい。
さっそく、展示を一巡し
西谷墳墓をはじめ出雲市の古代史資料パンフをいただく。

当然、宮本鍛冶山内の資料も収集する。
「田儀櫻井家たたら製鉄遺跡総合ガイドブック」(出雲市文化財課)
なるものが販売されていたので、2人とも迷わず購入する。

これで事前調査は、ばっちりである。

なおかつ、「来原岩樋」なる地元の人でも知る人ぞ知るという
マニアックな近代土木遺産の場所を尋ねると
係員の方はわざわざ調べて、
このやっかいな2人組に教えていただいた。
実にサービス満点の博物館である。




さて、「四隅突出型墳丘墓」というのは
弥生時代後期(150~250)に作られたもので、
いわゆる古墳時代に作られた古墳より古い。
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ごらんのように、わざわざ山の尾根を整地して、
方形の盛土を行い、四隅にスロープをつけるという
面倒くさい土木工事をやっている。

畿内にある平地の同規模の古墳より
労力と技術がいることは明らかである。
まあ、ここにかなりの集権的なクニがあったのは確かである。


盛土勾配を観察すると1:1.5程度で盛土の安定勾配をとっていることがわかる。
表面に張り石をしているのは、侵食防止の点からであろう。
四隅は上るため勾配を緩和したスロープであると解釈できる。

現在の姿は、整備されて、とてもきれいが、
弥生時代には本当にこのような形だったのだろうか。

整備前の姿がパネルにされていたのでそんな疑問もわく。
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9号墓とよばれる墳墓は62m×55m×5mという最大規模のものだが、
長らく神社地になっていたこともあり、遠くから見ると小山にしか見えない。
写真右奥の森のようなものがそうだ。
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神社が古い墳墓地であることはよくあることである。
各地の古くからある神社は何がしかのいわくのある場所としてマークするのがよい。




3号墳から東を見る。
斐伊川、出雲平野、その先に宍道湖、島根半島の山塊が見える。
この墓の大王の支配地であったのだろう。
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経済基盤、交通にはいい立地条件である。


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妻木晩田遺跡―甦る山陰弥生集落の大景観 (日本の遺跡)
同成社
高田 健一

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参考に整理してみた出雲古代年代記
明らかにヤマトより古い文化圏がこの地に存在していたことがわかる。


紀元0前後 荒神谷、加茂岩倉 青銅器埋設

1C中    仙谷墳墓(四隅突出型墳丘墓) 妻木晩田遺跡 0~4C 
 
2C中~3C中  西谷墳墓(四隅突出型墳丘墓)



239 卑弥呼 魏に遣使

---古墳時代----

3C末 畿内に前方後円墳 出現

4C末 前方後円墳が巨大化 全国伝播

5C  仁徳凌 五色塚古墳 西都原古墳群

6C  円墳、群集墳、横穴墓


593 聖徳太子 摂政
645 大化の改新 中大兄皇子、藤原鎌足 蘇我入鹿暗殺













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