佐渡 両津を探検する

昼前のフェリーまで時間があるので両津の街を探検してみる。

宿のフロントに「見るべきものは何ですか」と聞くと、
「港にある老松と魚市場くらいですかね」と
消極的である。
確かに、中心の商店街は気の毒なくらい寂れている。

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佐渡金山は平成元年で閉山してしまったが、それまでは結構栄えていたのだろう。
古くは両津は明治開港5港の1つの新潟港の補助港であったので、
海外にも門戸が開いた地である。

気を取り直し、その片鱗を探すことにする。

まず、港近くの老松。
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案内板には
もとは「お番所の松」と呼ばれていたが、
尾崎紅葉がこの地を訪れたとき「村雨の松」と命名したとある。

村雨とは謡曲「村雨」のことであろう。
神戸須磨の村雨がこの地にあるとは、何か腑に落ちない。
「お番所の松」のほうがいい。

松になりたやお番所の
枯れて落ちても離れやせね(両津甚句)

二人の仲を、松葉に準えたものである。
これは風流である。


そばに「夷港税関跡」の碑がある。
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昭和42年まで税関があったようだ。

代わりに今は海上保安署が建っている。
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拉致を思い出し、「北方の守りを固めてがんばってほしい」と声援を送る。


加茂湖と外海を結ぶ川を渡る。
3つ橋が架かっている。
古くは「らんかん橋」といって、江戸に佐渡奉行所が架けたものが由来として掲げてあった。
この橋を境に、湊と夷という二町に別れている。
両津の由来はこの2つの地名からとある。
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橋を渡ると湊の集落である。
結構、寺が続く寺町がある。
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「うなぎの寝床」といわれる町屋が続く。
間口と税金の関係があったのか。
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地蔵堂のようなものがある。
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たまたま、花を供えに来ている人がいたので、
「えんなむ堂」の由来を聞いたがよく分からないとのこと。
確かに地蔵であるが、数が多い。
水子もあるのかもしれない。
野ざらしでなく、建屋に入っているのが、この地の人のやさしさを感じる。
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結構立派な「八幡若宮神社」 
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境内にあった五輪塔だが、明らかに中国風の造り
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蒋介石の片腕であった宋勝仁が日本に亡命していたとき、
世話になった北家に贈ったものと説明がある。
丹波哲郎が保管していたが、北ゆかりの地へ返したとある。

帰神後、調べてみると
北家とは、国家社会主義思想家、北一輝
辛亥革命を体験する。
2・26事件の理論的首謀者として処刑されている。

ううむ。
説明が簡単なのでよく分からないが
これはなかなか奥深いものである。


付近を見ると、小さな梨のようなものがたくさん落ちている。
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見上げると、いっぱいなっている。
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どうも梨の野生種の「ヤマナシ」のようだ。
これも珍しい。はじめて見る。
花のころに来ればきれいだろう。



このあたりの家々の多くは、家の裏もしくは表がすぐに舟が付けれるようになっている。
漁業や海運が生活と密接にあるところだと思う。
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夷のほうへ戻ってくる。
ひなびた漁港。
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長年の塩風に吹かれた建屋
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路地に入りこむと銭湯
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両津カトリック教会
明治12年にフランス人宣教師によって築造
火災の後、明治20年再建。
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なかなかのものが残っている。

すぐ前には蛭子神社
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夷町の発祥の地とある。
菊のご紋があるのが気がかりだが時間もないのであきらめる。
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美しい銀杏
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どこか既視感のある家屋
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空母の艦橋のような不思議な廃墟
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すでにこれも取り壊されようとしていた。


昼過ぎのフェリーで佐渡をあとにする。
フェリーでは船出のドラを鳴らしていた。
今や珍しい風景である。
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出航のときおびただしいカモメとトビが乱舞して、
デッキは寒かったがそれは見ものであった。

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