コメを選んだ日本の歴史(原田信夫)を読む 「戦いの発生」や「肉食の忌」など

日本ほど、コメに執着した民族はいない。
コメを主軸にした日本通史。
興味深く読む。




「稲作がもたらした弥生の社会構造の変化(特に戦争)」が興味を引く。


簡単に整理すると

食糧の安定化
社会の分業化
村レベルを超える石器の外部移入
朝鮮半島からの金属器の流入
専門集団(金属器、流通)の登場

社会的余剰の蓄積
祭祀による豊作祈願
政治の開始
社会的余剰をめぐる、戦いの勃発
  後漢書に見る倭国の大乱(147-188)




狩猟民より農耕民のほうが好戦的だという。
それは、社会的余剰による富の蓄積の獲得が戦争を引き起こすからだ。

狩猟社会は富の蓄積はほとんどなく、
農耕社会になって、富の蓄積がおこるわけだから
縄文期には、ほとんど戦争は無かった。

「戦争」と言う「社会システム」が「稲作」と一緒に
朝鮮半島から移入した。
環濠集落や武器は朝鮮半島系のもの

遠い過去に戦闘を繰り返した記憶が日本民族には残っているのかもしれない。



確かに奪うものが無ければ戦争も起こらない。
すべては、富の魔力といえる。




「稲の伝播経路」については、
朝鮮半島経由と柳田の言う「海上の道」経由があるが、
今では、考古学的成果より
朝鮮半島経由が通説となっている。


しかし、私は
柳田国男の
「人とスズダマ」や
「大唐田または唐干田という地名」
といった小論を読んだとき以来、
確かに弥生以前の縄文期にすでに
稗粟といった雑穀と一緒に、
コメを海上ルートでもたらした人々がいたのではないかと思っていた。


やはり、海上ルートでの日本人のルーツは何かロマンがある。
乱暴に言えば
縄文人は海上ルートで来たものもあったろう。
弥生人は朝鮮半島経由で大量にやってきたということになろうか。


本書によれば、
赤米の神事が今も
南種子町茎長 宝満神社
総社市新本 上国司・下国司神社に残ると言う。
機会があれば訪ねたいものだ。


イネは、ジャポニカ(日本型)、インディカ(インド型)の他にジャバニカ(ジャワ型)があり
種子島の赤米はジャワ型であるとされている。
いかにも海洋の民が携えてきたイネの感じがする。





「肉食を賎とし、コメを聖なるものとした」のは何故か

これは非常に興味ある疑問であるが、
いまひとつ明快な論を示していない。

なぜこれほど米食に日本人がこだわったのかの大きな回答であると思うのだが。
仏教感だけでは説明できないと思う。





「イノシシとシカ」
多産ゆえに縄文時代で好まれたイノシシは
米作の獣害になるので
代わりに角の再生から豊穣の連想させるシカが扱われるようになった。

銅鐸のシカの描写は農耕儀式として解釈される。
「播磨風土記」には、生きた鹿の腹を割きその血を入れた籾を撒くと一夜にして苗が生えた。

しかし、シカの獣害は今でも問題であるが。



他にも
太閤検地による中世の否定
第二次世界大戦期の大陸への米作
高度成長による米食の変貌

など日本史とコメの関係は興味が尽きることが無い。













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