国宝 火焔型縄文土器(十日町市博物館) beret-exepedition 2015 §2
今回の旅行のお目当ての1つは「国宝 火焔型縄文土器」である。
越後湯沢で、estと合流し、雨の中、十日町を目指す。
十日町はまったく始めての地だ。
国宝 火焔型縄文土器は、十日町市博物館に収蔵されている。
博物館は、道路からちょっと入った分かりにくいところにある。
外観は、よくある地方都市の資料館といった感じ。
エントランスもひなびた感じで少しがっかりしかけたが、
それは、大きな間違いであった。
中に踏み込むと、一群の縄文土器の展示があった。
よくよく見ると、笹山遺跡出土の中心的な縄文土器57点
およびその他800点あまりの出土物一群が国宝指定になっているのだ。
その中央にすえられているのが、国宝 火焔型土器である。
装飾のある土器はその形状により、火焔型と王冠型の2つに大別される。
さらにその他の出土品は、となりの部屋の引出し収納で自由にまじかに見ることができる。
このような展示方法は、訪問者にとって非常にうれしい心配りである。
ベレー帽2人組は、歓喜の声を上げながら、展示物を堪能したのであった。
一口に縄文時代というけれど
紀元前1万3000年~紀元前2300年が縄文で
その時間的スパンは1万年ほどあり
日本列島に人間活動の痕跡が見られてから今までは3万年だというから
少なくとも日本の歴史の3分の1は縄文なのである。
縄文土器は、尖石遺跡に行ってから、その魅力に取り付かれてしまった。
縄文土器の円熟期は縄文中期だが、
今から5,000年以上前のものとは思えない芸術性の高さに驚いてしまう。
パネルに縄文土器の変遷をわかりやすく展示してあった。
しかし、この異常と思えるくらいの装飾は何を意味しているのだろう。
火焔というからに、炎の燃えるさまに似てはいるが、
それは後世の人が名づけただけであって、
縄文人はほかのことをイメージしたかもしれない。
個人的に思うには
下部の装飾模様を含めて
生命が沸き立つエネルギーを表現している気がする。
ちょうど、冬が去り、春の訪れとともに、草木が急に地中から沸き立ち
小動物が地中から出てくるのを見て、
生命の循環を縄文人は何か感じたのではないかと思うのだ。
2007年に諏訪市博物館で見た、蛇や蛙の装飾のある縄文土器を思い出させた。
これは諏訪市博物館所蔵の蛇か爬虫類の頭の装飾があるもの
越後湯沢で、estと合流し、雨の中、十日町を目指す。
十日町はまったく始めての地だ。
国宝 火焔型縄文土器は、十日町市博物館に収蔵されている。
博物館は、道路からちょっと入った分かりにくいところにある。
外観は、よくある地方都市の資料館といった感じ。
エントランスもひなびた感じで少しがっかりしかけたが、
それは、大きな間違いであった。
中に踏み込むと、一群の縄文土器の展示があった。
よくよく見ると、笹山遺跡出土の中心的な縄文土器57点
およびその他800点あまりの出土物一群が国宝指定になっているのだ。
その中央にすえられているのが、国宝 火焔型土器である。
装飾のある土器はその形状により、火焔型と王冠型の2つに大別される。
さらにその他の出土品は、となりの部屋の引出し収納で自由にまじかに見ることができる。
このような展示方法は、訪問者にとって非常にうれしい心配りである。
ベレー帽2人組は、歓喜の声を上げながら、展示物を堪能したのであった。
一口に縄文時代というけれど
紀元前1万3000年~紀元前2300年が縄文で
その時間的スパンは1万年ほどあり
日本列島に人間活動の痕跡が見られてから今までは3万年だというから
少なくとも日本の歴史の3分の1は縄文なのである。
縄文土器は、尖石遺跡に行ってから、その魅力に取り付かれてしまった。
縄文土器の円熟期は縄文中期だが、
今から5,000年以上前のものとは思えない芸術性の高さに驚いてしまう。
パネルに縄文土器の変遷をわかりやすく展示してあった。
しかし、この異常と思えるくらいの装飾は何を意味しているのだろう。
火焔というからに、炎の燃えるさまに似てはいるが、
それは後世の人が名づけただけであって、
縄文人はほかのことをイメージしたかもしれない。
個人的に思うには
下部の装飾模様を含めて
生命が沸き立つエネルギーを表現している気がする。
ちょうど、冬が去り、春の訪れとともに、草木が急に地中から沸き立ち
小動物が地中から出てくるのを見て、
生命の循環を縄文人は何か感じたのではないかと思うのだ。
2007年に諏訪市博物館で見た、蛇や蛙の装飾のある縄文土器を思い出させた。
これは諏訪市博物館所蔵の蛇か爬虫類の頭の装飾があるもの
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