天皇になろうとした将軍(井沢元彦)

最近、南北朝時代、特に建武の中興(最近は新政ともいう)あたりに興味があり手に取った本。結構この時代は、ややこしくて日本史の教科書でもわかりにくかったのを覚えている。しかし、天皇をめぐる内紛でありクーデターであり、日本史の中でもなかなか異様な時代であったことがわかった。この本は、もともと週刊ポストの連載であったので面白く読めた。


天皇になろうとしたのは足利義満であり、彼の作った金閣寺はその構造から、義満の野心が見えるという。つまり金閣寺は1層目は神殿造り=貴族、2層目は武家造り=武士、3層目は禅宗仏殿造り=僧=出家した義満、頂上の鳳凰は平等院と同じであり、当時、天皇より勢力をふるった藤原氏と同じである。

南朝の後醍醐天皇は、とんでもない自分勝手な天皇(リーダー)でいささか評判が悪い。仕えた楠正成は、実に忠義に厚い人徳者であったようだ。
新田義忠は足利尊氏のライバルであり、目指すところは同じ武家の政権把握で、たまたま、南朝と北朝に分かれただけである。

南北朝の解消は、足利義満によってなされたが、これは義満が南朝をだましたから成功した?わけで、南朝は吉野にこもりづづけ(筋目という)、なお現代まで川上村には「朝拝式」という儀式となって自天皇の追悼を続けている。


観阿弥の子世阿弥は北朝の義満の寵愛を受けるが、やがて佐渡に流されてしまう。これは、観阿弥が南朝方のスパイであり、世阿弥もそれがばれたために佐渡へ流されたのではないか。

新しく権力をとったものは、たとえ身内であってもすべて自分にとって代わるものを殺すのが通常であった。それは、主導者として内乱を招くものを排除するという面では正しい判断。頼朝の義経殺し、家康の秀頼殺し。家来になるのなら生き残る道は残されていた。









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