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zoom RSS 病とむきあう江戸時代(岩下哲典)

<<   作成日時 : 2018/02/19 00:43   >>

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江戸時代末期の藩医がどうしていたかを記録から明らかにした珍しい本。
藩医を今風に言えば、産業医なんだけど、同じような病人?の面倒を看ていたということには変わりない。

「うつ」の藩士もいたようで、記録に残っていて「気分不快引籠」という症状で、よく欠勤する藩士であったようだ。
かといって、やめるわけでなく、無難な仕事を与えられて何とかやっていたようだ。
無難な仕事というのは、たとえば「火事見舞い」とかいうお見舞いの金品を置いてくるだけのお使いのようなもの。
江戸時代の武家社会にも「うつ」があったのは興味深い。時代劇を見ていても、お武家さんはそんなにストレスのあるような社会に思えないのだが。閉鎖的だから出世とかでいらぬストレスを抱える世界だったのかもしれない。

津山藩の藩医が、長崎出張旅行の道中でうまい酒に巡り会ってその銘柄を記録しているので、これはアーカイブしておかなければならない。
黒田藩で接待を受けたときに「白菊」という酒を城主黒田から勧められ、えらく気に入っている。
「白菊」は当時の酒番付の関脇に上がっていて「小西酒造」で今では「白雪」伊丹の酒である。
尾道では「鶴の友」という酒に出会い、これも「白菊」にもましてお勧めとしている。
これは、灘の木屋という酒屋のもので、木屋は「松島」「亀の尾」「若鶴」などを出荷している。
木屋は今の「木谷酒造」で「喜一」という銘柄がある。

幕末には「捨足軽」と呼ばれるISよろしく「自爆戦闘員」が存在した。
つまり、長崎のイギリス船来航に際し、いざという時には、爆弾を抱えた足軽戦闘員80人が待機していた。
また、異人切りが行われたのも、異人に対する恨みではなく、徳川幕府に対する政治的な、扇動的な意味があり、幕府を窮地に陥れようとする、テロであったと、シーボルトは指摘する。
これなど、現代における、イスラム勢力のテロと似通ったところがあるのではないか。





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