秘境旅行 (芳賀日出男)

読んで、てっきり民俗学者の本だとおもっていたが、芳賀日出男は、実は写真家で民俗研究家ということらしい。
あとがきによると、子供の運動会に土門拳と一緒に写真を写すし、銀座で木村伊兵衛と林忠彦と一緒に呑んで家に帰ってくるとある。
しかし、裏表紙には、折口信夫と宮本常一を師に持つとある。
確かに、挿入されている写真は、昭和30年代の市場経済に飲み込まれて失われゆく日本の民俗が「美しい構図」で残されている。
「民俗学者」の宮本常一も膨大な写真を残しているが、それと比べると、芳賀が「写真家」と言われるのが納得できる。

秘境はどこだったのだろう。芳賀は冒頭でこう言う。「もはや日本には秘境はなくなってしまった。むしろ地点としての秘境でなく、光景としての秘境である。ある日、突然、民衆の中にエネルギーが燃え上がると一変する小世界がある。それは独自の生産であり、風土との激しい戦いであり、祭りの興奮である。」
彼が秘境として書いたいくつかをあげると、ノサップ、網走、恐山、妻良、愛媛県外泊、福江島、甑島、沖永良部島など。
確かに秘境はまだ残っているような気がするが、そのような気がするだけかもしれない。

彼が網走で残されたオロッコ族を訪ねる話がある。わずか残されたオロッコ族に何とか会い、まだ雪があり、本来の春の祭りの時期でもないのに、オロッコの祭りを見たいと頼み込み、結局は祭りの中心となる春の神に火が付き燃えてしまう。オロッコ族の踊り手は気まずそうになり、芳賀も惨めな気持ちになってしまう。なにがしかの謝礼を目当てに、祭りを行ったオロッコ族の末裔は、もはや、この時には文化的には滅んでいたのかもしれない。

実は私も2015年に網走のモヨロ貝塚館を訪問したことがあり、この時、オホーツク文化圏というのがあることを知り、この貝塚を見つけた「米村喜男衛」という人物も知った。当時、70歳で館長を務めていたこの米村氏に芳賀は会って、それを手掛かりに残されたオロッコ族に会っている。夕闇迫る、モヨロ貝塚館を訪ねたときのことをしみじみ思い出した。






秘境旅行 (角川ソフィア文庫) - 芳賀 日出男
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モヨロ貝塚―古代北方文化の発見 (1969年) - 米村 喜男衛
モヨロ貝塚―古代北方文化の発見 (1969年) - 米村 喜男衛

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