よみがえる古代の港 石村智

日本古代の港は、潟湖地形、いわゆるラグーンに作られた。そして、その標識となるものとして、背後の山や時には古墳をその標識とした。
古代の湊を、地図と地名、古墳からその姿を再現する。

丹後半島の竹野、網野、府中、久美浜の古代湊
竹野明神山古墳=(同時期)=網野銚子山古墳=(規模形状類似)=奈良佐紀陵山古墳=(規格類似)=垂水五色山古墳

奈良佐紀陵山古墳=丹波道主命の娘 日葉酢媛の陵=丹波雲部車塚古墳 丹波道主命の陵



古代湊を地名から探す。
浦、泊、湊(=水門ー河口)、シガ(滋賀)、スカ(=砂処ー砂州ー砂地)、トモ(鞆)

御津と室津
揖保川下流には、御津と室津がある。
御津はラグーンにある港で付近には権現山古墳や奥塚古墳が標識として考えられる。
しかし、室津は平野部になく付近に遺跡もない。奈良時代から室津が登場するが、これは吃水の深い大きな船が登場して、御津から室津に港が移ったことを示す。
室津 万葉集に出てくる。このころから。賀茂神社の飛び拝殿が特徴的。

福浦(石川県)
奈良時代 渤海との窓口 34回の渤海使船を受け入れる。


宇佐
宇佐は八幡宮の総本社である。古代において宇佐は政治の中心でもなく、宗教的中心地でもない。しかし、奈良時代に起こった、宇佐神宮神託事件は、この地が重要な地であったことを示している。
川部・高森古墳群は宇佐国造である、宇佐津彦と宇佐津姫に関係する。これは宇佐が古代瀬戸内海海上ルートの重要な港であった。
周防大島~上関~祝島~姫島~宇佐~下関というルート。



カヌー日本語語源説(茂在寅雄)
古事記、日本書紀にある「枯野」「軽野」(カノー)と呼ばれる船。

伊豆国が作った「枯野」となずく船は速く走った。
伊豆に残る地名 狩野川、狩野山、中世の豪族狩野氏
高津島の黒曜石の運搬経路

免寸川の西にあった高木を切って船にしたところ早く走り「枯野」となづく。
淡路の清水をこれに積み帝へ献上した。
大阪堺市高石町富木


古代航海術
スターナビゲーション
カヌーの視界は海上3kmほど
陸は見えないが高い山は見える
√目標物+√目高さx2.083=海里



難波宮と難波津
難波津は仁徳天皇が掘削したという「難波堀江」高麗橋あたりにあった。
河内湖の陸化による衰退。762年遣唐使船が難波津で動けなくなる。


籠神社(このじんじゃ)
神職は歴代海部氏
神宝 息津鏡(後漢)辺津鏡(前漢)を有す。

大風呂南一号墳(弥生後期 与謝野町岩滝)
東南アジア産のガラス腕輪を出土

若狭国
御食つ国 膳氏(かしわで)海人系 高橋氏・安曇氏
若狭彦神社鵜瀬と二月堂若狭井は繋がり、水送り行事




よみがえる古代の港: 古地形を復元する (歴史文化ライブラリー) - 智, 石村
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