姫路「刃の宮地蔵」の由来を考える

姫路の町をぶらぶら歩いていると何か呼ぶものがあり、傍らにいわくありげな小社が目に留まった。立ち寄ると「刃の宮地蔵」とある。
幸いなことに、由緒書きの石碑が建立され、読んでみるとかなり古い歴史のある社である。

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平安末期の頃(一条天皇)、京三條の刀匠 小鍛治宗近が豊前(福岡県)の宇佐八幡宮に神釼奉納の為下向の途中、この地(芝原村)にて病(歯痛)に臥した。ある夜、夢に老翁現れ曰く「御神体は先年 当国(播磨国)松原八幡宮に移りし故、豊前まで下向するに及ばづ、この地にて釼を鍛えて八幡宮に奉納せよ」

宗近此の地に信託により打たんとすれど相槌なきため如何にすべきかと困りし時、都より稲荷神鉄匠 孫太郎狐が来て相槌を打ち、一口の神釼を鍛へ松原八幡宮に奉納し、後此の地に没した。里人等其の跡に一宇の小堂を建て、宗近の帰依せし石体の地蔵尊を安置し冥福を祈り、世にこれを「刃の宮」または「歯の地蔵」とあがめ祭り今日に至れり


ということである。

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おそらく、「歯の地蔵」というのは後世の人が「刃から歯」をくっつけた話であって、この話で肝心なのは、京の刀鍛冶が、平安末期の一条天皇のころ(986~1011)宇佐八幡宮に行こうとしたが、ここに留まり刀鍛冶をし、灘の松原八幡宮へ奉納したということであろう。

灘のけんか祭りで有名な「松原八幡宮」がここに出てくる。松原八幡宮の社伝によると、
天平宝字7年(763)妻鹿の漁師が「八幡大菩薩」と書かれた霊木を拾い上げ、その霊木を祀ったことを起源
とある。

刀鍛冶は、初めは宇佐へ行こうとしていたが、すでに松原八幡宮が播磨にあって、本人なのか周囲の状況によるのかわからないが何かやむなき理由があって播磨に留まった。その言い訳のようなものが「歯痛」ではないのか。

平安末期、1003年には宇佐八幡宮の神人が領主の苛政を訴える事件もあった。時代はすでに源氏が台頭してきて、旧権力にそのような武力が台頭してくる時代のなかで、ともかく、この刀鍛冶は宇佐に行かずに播磨に留まったのは事実である。

相槌「稲荷神使の鉄匠・孫太郎狐」というのも考察すれば面白い。京から来たということになっているが、いかんせん「狐」である。おそらく土着の鉄師が協力したことを示している。稲荷というのは農業神であり、おそらく農具を製造する野鍛冶であったのではないかと思う。

すぐ近くには「鍛冶屋公園」と名のついた場所も現在ある。確かに由緒ある古い土地である。



おりしも近々、備前長船に行こうとしていた。「呼ぶ声」はその縁かとも思う。



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