空海の魅力について

空海は魅力的な人物であるが、実は今までどのような人物であったか詳しく知らなかった。このたび、空海についてまとめてみた。

現代まで続く日本の文化、宗教観を、空海がはるか奈良時代にまとめあげ、それが今なお生き続けていることに気付く。


空海が生きた時代
奈良時代の仏教文化が成熟期を迎え、一方で僧侶の堕落や、政治氏族(藤原氏)や、天皇家内部の皇位継承を巡る派閥争いが起こっていた。

称徳天皇を取り込んだ道鏡事件(南都仏教勢力)
天皇家内部(天武系と天智系)の抗争
藤原一族(南家、北家、式家、京家)の天皇外戚を巡る抗争
長岡京遷都にからむ、藤原種継暗殺、その罪を被せられた、早良親王の絶食死



空海の生誕から出家まで
佐伯氏の三男として774年に現在の観音寺市に生まれ、兄が亡くなったので氏の後継者として育つ。
誕生日は6月15日と言われている。
父方は大伴氏につながる武人、母方は学者を輩出した阿刀氏。
幼くして漢学を学ぶ。
15歳で上京、大学に入るが、人生の理想を探求するに、大学の教育は単に世俗間を生きるための手立てとしか映らず、大学を辞する。

今でいえば将来、高級官僚となるエリートコースを捨てて、山野に分け入る私度僧となったのである。
おそらく、幼くして一流の文化に触れ、佐伯氏という氏族の期待の重圧、上り詰めても抗争の時代背景がそうさせた。
少し状況は異なるが一遍(1239~1289)が四国豪族の河野家に生まれながら、捨聖となったのを思い出す。




その思想は著作「三教指帰」に出発し、「秘蔵宝鑰」に完結する

「三教指帰」(さんごうしいき)797年 空海24歳
空海の処女作で思想の出発点となる著作。登場人物は本能のままの蛭牙公子、儒者の亀毛先生、道士の虚亡隠士、乞食の青年層である仮名乞児で、それぞれの順に、その語りにより物語が展開する。仮名乞食は空海そのもので、自身が官吏の道を捨て、私度僧となり仏道に入った理由を記している。仏道に入ることを忠孝に背くと考える年長者に対し、空海のそうでないという回答である。


「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく) 830年 空海57歳
憂国の青年貴族と仏教界の長老との14問の問答形式で進む。仏教と国家の関係、仏法は法律や道徳を超えている面があるけれども、広い意味で一致するという解決方法を取っている。

仏法を考えるとき二面ある。僧侶が修行するときは仏教独自の戒律に従わなければならない。ある意味で国法と仏法は相いれない。しかし僧侶が世に出て一切衆生を救おうとするときは、仏法と国法は一致する。政治家は法律を適用する際に愛憎に従い法を曲げれば、罪は重い。しかし、事情をよく調べて、ある時は厳しく、ある時は緩やかに適用することが大切である。
毒と思ったものが薬に変化したり、鉄だと思ったものが金に変わる場合もある。これもひとえに時運の流れによるものである。


「十往心論」(じゅうおうしんろん)「秘蔵宝鑰」の資料編。
人間の心の在り方を「往心」という。人間を10種に大別し、本能のままに生きるものを第一往心とし、最終的な第十往心で真言密教に至る。第一から第十は人間の心の様相であり、第十に至るまでの過程として評価され、すべてが真言密教だという。また、第一から第九までは、顕教であり、第十のみが真言密教である。この2つの見方を持つことで思想は2倍深く広くなる。


諸刃の剣の「理趣経」
理趣経は17段からなっており、男女の会合、人間の欲を肯定している。
人間の欲望は自然であり不浄でない。それが、誤った方向に向けられたり、自我に囚われることが問題なのである。
五体でもってその生を全うすることが大切であると説く。

ともすれば、人間の欲望面を肯定する、あるいはその全面否定と捉えてしまうと「理趣経」を誤る。それゆえに、「理趣釈経」を手引きにして読むことが要求されている。



真言密教の意義
釈迦以来、発展した仏教の帰着点を確定した。仏教諸宗を法身によって統合する発想は、インドで成立した「大日経」、「金剛頂経」に見られるが、これが中国に伝わり漢訳されたがまだ統合までは十分でなく、それを受けた空海によってようやく体系化された。
空海は「大日経」を求め入唐したが、恵果和尚から密教には「金剛頂経」という系統もあることを知り、これも持ち帰った。

宇宙に遍満する法身大日如来の存在に気づきさえすれば、誤りだらけのこの私でも、この身のまま仏として生きられると説いている。




最澄と空海
ともに遣唐使船で唐へ渡ったが、最澄はその一部(亜流)を持ち帰ったことにより、帰国後、日本での密教の布教を巡り空海とかかわることになる。
密教の伝授は、筆授(書物による伝授)と面授(師から弟子への直接伝授)が基本であるのだが、最澄は筆授だけで密教を理解しようとした。空海から密教の経典を多く借りながら、空海の面授を全く受け付けなかった。最後は「理趣経」の借用を巡り、空海側から断絶させられる。

最澄は大学を出たエリート僧で、書物から知識を得ることには長けていたのだが、実世界からは学ぼうとしなかったのではないか。いつの世にもありうることである。
最澄には、泰範と経珍という2人の弟子がいて、泰範は愛弟子であったが、空海のところへ奔走し結局戻ることはなかった。このエピソードも面授を重視しなかった最澄が見え隠れする。





空海と満濃池の工事
821年5月、満濃池改修工事の別当に任ぜられ、6月10日ごろ現地に到着、3か月で完成し、9月7日に平安京へ帰っている。
このとき、「余水吐」を作っている。余水吐は当時の最新技術であり、僧の学芸である「五明」のうち「工巧明」(くぎょうみょう)をきっちり学んでいたため実現した。実物がどのようなものであったか興味あるところである。

その後、大和国の「益田池」かんがい事業も行ったが、現在、「益田池」は現存しない。



2015年に訪れた満濃池。
空海以後、決壊し、池でなかった時代もあるが、その後幾たびも改修され、現在では広大な水面となっている。
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下流への放流口(樋管出口)
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空海はこのように工学的知識や経済的知識あり、高野山についてもその地勢的有利さで、自らの資金調達で開いた。
高野山は辰砂(水銀)の産地に近いことに注目し、その販売で経済基盤としようとしたことがうかがえる。権力から資金を調達することはしないで、自らで財源を開拓しようとしたのは、思想の自由の源泉を知っていたからである。
しかし、空海の死因は、仏事で扱う水銀中毒であったのではないかという説もある。



空海の魅力
引きずられない人。当時の大学教育、既存仏教、国家権力などに引きずられることなく、自らの志を貫いた。
心の自由な人。人の心は常に反省を加えつつ真実へ向かい遍歴する。のびのびとした幅広い宗教観。心理は一つだがそれにはいくつもの道があるという考え。
共生の考え。自然も人間も大日如来そのものである。
「静かに見れば、ものみな会得す」(一木一草といえどもよくみれば在り様をもって存在する)という芭蕉の言葉と通じるところがある。

「大日如来と自我は無二無別である と悟ることは即身成仏である。肉体も心も一緒に悟ること、すなわち自身を見つめ、探求し、生を全うすること」が真言密教を通じ空海の語るところである。





コンパクトにまとまっていて、空海入門にふさわしい内容
空海入門 (角川ソフィア文庫) - 加藤 精一, 芦澤 泰偉, 芦澤 泰偉
空海入門 (角川ソフィア文庫) - 加藤 精一, 芦澤 泰偉, 芦澤 泰偉


読み物として面白く空海を見れる。この本には「善道尼」という空海に寄り添う女性が登場する。実在したのだろうか。物語の狂言回しとして登場しているのだろうか。
眠れないほど面白い 空海の生涯: 1200年前の巨人の日常が甦る! (王様文庫) - 弥生, 由良
眠れないほど面白い 空海の生涯: 1200年前の巨人の日常が甦る! (王様文庫) - 弥生, 由良

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