早良親王(さわらしんのう)埋葬地 に行く 

空海の生涯について調べていて、「早良親王」(さわらしんのう)という人物が気になっていた。実は空海が始めて別当となったのが乙訓寺で、ここに早良親王が幽閉されていた。早良親王は、桓武天皇の弟でありながら、長岡京建設担当であった藤原種継を暗殺した疑いをかけられ、乙訓寺に幽閉され、非業のうちに淡路島へ流刑される途中、絶食し憤死する。

結局、亡骸は淡路に葬られた。しかし、その後、桓武天皇の周りに不幸が相次ぎ、都にも疫病、天災が相次ぎ、早良親王の祟りと言われたものだから、亡骸は大和へ移葬された。

というような、非業の人物であり、怨念の人物である。


淡路には「早良親王」関連地がいくつかあるので、恐れ多くも訪ねてみることにする。

まずは、早良親王埋葬地とされている、「天王の森」に行く。下調べしていたから行けたものの、現地は道路際に小さな立て札があるだけで、遠目からは全くの藪である。
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山際にコンクリート舗装の小道があったので、恐る恐る行ってみると崩れそうな石段の上に傾きかけた社がある。
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詳細解説の看板がなければ、崩れかけた社でしかない。ここでは拝むというより、懇ろに弔う。
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社殿から下にはため池がある。「早良池」と呼ばれる池であろう。「そま池」と言われるだけあって、大阪湾と瀬戸内海のほぼ分水嶺にある。
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社殿の背後は大阪湾からはるか大和方面である。とにかくこのような地に早良親王は埋葬された。
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次は、桓武天皇が早良親王をの呪いを鎮めるため勅願所とした「常隆寺」である。なんとか自動車で登れる道がついているが、幅員が狭くこわごわ走る。しかし頂上の境内はかなり広い。標高515mで北淡路では最高峰である。
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解説によると桓武天皇以前に「淳仁天皇」が建立したとある。実は淳仁天皇は「淡路廃帝」と呼ばれ、天皇家の抗争の中で抹殺され、明治まで呼び名がなかった天皇である。
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この地は、2度にわたる天皇家の権力争いの鎮魂の地なのだ。
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