「街的」ということ

「街的」とは何か。街に民俗学を持ち込むと、この本ができる。
久々に面白く読めた、「ベレー帽的」推薦書。
街に暮らすものにとって「いなかもの」は
地方を蔑視して言う言葉でなく、
「いなかもの」と呼ばれないために
流行や消費に特化した情報をまとうことが、
「いなかもの」なのである。
街の消費に関する情報は、けっして、本やウエブから得るものでなく、
街をうろうろし、実体験として得た情報が本物なのである。


画像

                            新開地 2006/1 ©beret-west


(以下、メモ)

面白い街というのは歩くものの予定を台無しにして
予想外の出来事に巻き込む街である。

大阪での「うまい」店は、毎日食べるものがごく自然に
「普通」を少し越えた「普通に美味しい店」である。
そこには「リーズナブル」とかいう物言いはなく
店主と客の「これでどや」「はい、よっしゃ」の感覚である。

花街の店は、その店がどんなジャンル(料亭、割烹、小料理etc)か
客に知られることを極端に嫌う。
それは、その店の「底が知れてしまうことで」
それを消費した客は逃げてしまうのである。

旅行の楽しさは、見知らぬ国で見知らぬ人に囲まれ
自分の居場所を見つけたときであり
それまでのいろんなプロセスが「楽しさ」を担保している。
その人のパーソナルヒストリーが関係する。
          (同感同感)

私に見えたものが、ひとつの面白い物語になるかどうか
それがいい店とのかかわり

大人でなく、子供をターゲットにしている店は街では長続きしない。
子供はムードやキャラクターでものを消費する。
だから、手を変え、品を変え、新しいおもちゃを与え続けないと満足しない。
街は本来、大人のためにある。

「店の常連」とは
「街の先輩」とは

神戸北野 「ジャック・メイヨール」


江 弘毅 1958生 神戸大学農学部園芸農学科卒
「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ

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