但馬の古代製鉄はどこで行われたか

但馬に来てから、古代製鉄の遺構が
どこかにないかと探していた。


新羅から但馬へ渡来したアメノヒボコは、
製鉄技術も携えてきたと伝えている。


まあ、アメノヒボコの物語は置いておくとしても、
多くの鉄器が合葬された「茶すり山古墳」が物語るように、
この時代の鉄器はどこから供給されたのかという疑問もあった。



但馬を去ることになり、
まだ十分まとめていないのだが、
とりあえず調べた範囲で記録することにした。




ある日、地図を見ていると、出石に2つも「兵主神社」がある谷を見つけた。
さらに、この谷を流れる川は、「穴見川」という。


「兵主神」は、軍神であり、製鉄関連の神でもある。
「穴見川」はまさしく「穴師」関連の地名のようである。
さっそく現地に行ってみることにした。


これが「式内大生部兵主神社」
画像


何の変哲もない、小さな村社である。


この辺りは「三宅」という地名であり、
古く朝廷の所領であったことを物語る。


神社の真向かいの斜面を見ると、
この辺りの地層は風化花崗岩のようである。
ますます、古代製鉄のにおいがする。
画像




谷の上流を見る。
なだらかな勾配で登り、峠を越えると久美浜方面へ抜ける。
最上流部には、「奥野」という集落があり、
ここにも「式内大生部兵主神社」がある。
画像

山裾には扇状地状の地形が見え、
「かんな流し」が行われていたのではないかと想像したりする。

残念ながら決定的な、古代製鉄の痕跡は見つからなかった。






帰り道、「袴狭」というところに
「いずし古代学習館」というものを見つけたので
立ち寄ってみた。
そこで、大変な展示物を見つけた。


画像


出石の「入佐山3号墳」の副葬品である。
この古墳は古墳時代前期のもので結構古い。
多くの鉄器に交じって、砂鉄が副葬品として出土している。

鉄器だけでなく砂鉄が副葬品としてあるのは、
製鉄に係った人物が埋葬された可能性が大きい。

すでに、この砂鉄は科学分析されていて、
海浜で採取された砂鉄であることがわかっている。


古代、豊岡平野は大きな湿地状態であったので、
その周囲の出石が、居住地であったのだ。

枝状にある谷のどこかに、製鉄に携わった部族がいたに違いない。
それは、穴見川の谷かもしれない。

最後に大きな収穫を得て、旅を終わる。

画像






































古代日本の鉄と社会 (平凡社選書 78)
平凡社
東京工業大学製鉄史研究会

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 古代日本の鉄と社会 (平凡社選書 78) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

古代製鉄物語—「葦原中津国」の謎
彩流社
浅井 壮一郎

ユーザレビュー:

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 古代製鉄物語—「葦原中津国」の謎 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

"但馬の古代製鉄はどこで行われたか" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント