テーマ:考古学

火焔土器を見て、また縄文へ旅をしたくなった

県立考古博物館で「雪国の火焔土器文化」と題した講演会があったので、これは見逃せないと行ってみる。 講師は津南町教育委員会の佐藤雅一さん。話の主なテーマは縄文火焔土器のデザインについてだったが、興味をひかれる点があったのでアーカイブしておく。 津南町諏訪前遺跡出土の火焔土器 1 火炎土器は豪雪地帯に分布する。 …
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國學院大學博物館に行く

國學院大學に結構な縄文土器のコレクションがあり、 それも無料で見れるという情報を仕入れていた。 ちょうど、新幹線の乗り換えまで時間の余裕があったので、立ち寄ることにした。 渋谷の氷川神社の向かい、閑静な一角。高層学舎の地階に博物館がある。 まず、出迎えてくれたのが、みごとな火炎土器である。 十日市で見た国宝火炎…
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垂水日向遺跡 や 宝篋印塔(遊女塚)  諸々  

垂水に買い物に出かけたついでに、ベレー帽してみる。 天気がとてもいいので、以前行った五色塚古墳から 明石海峡を見ようということで、 歩いていると、「宝篋印塔(遊女塚)」なる立て札に出くわす。 それは、墓所の中に、高さ4mもある宝篋印塔(ほうきょういんとう)であった。 宝篋印塔は五輪塔などと同じ仏塔の一様式で、 各地の寺院…
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諏訪湖畔にて縄文の旅から帰る (beret-expedition 2007 §9)

縄文の旅の最後は、諏訪湖を見る。 縄文人はここでワカサギを取ったり、 舟で黒曜石を運んだりしたのだろう。 残念ながら 「アワラ」と呼ばれた低湿地にはビルの影が見え 湖面にはアオコが発生して 縄文の面影は、はるか山並みでしか偲ばれない。 しかし、この岸辺から、黒曜石を求めて 縄文人が船出したと考えると考える…
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鷹山遺跡群(星糞峠) を探訪する (beret-expedition 2007 §6)

いよいよ今回のメインテーマである 黒曜石の採掘地を探訪する。 場所は長和町(旧大門町)鷹山に 星糞峠という奇妙な地名がある。 ここが縄文人が黒曜石を3万年にわたり採取したという場所である。 大門街道から山道を登ると、スキー場のある高原に出る。 夏のスキー場は人気がなく寂しいが いかにも縄文人が好みそうな高原地帯であ…
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尖石遺跡と尖石縄文考古館 を訪ねる (beret-expedition 2007 §4)

諏訪大社を後にし、次の目的地、星糞峠へと車を走らせる。 しかし、行く手には、意外な展開が待ち構えていた。 それは、尖石遺跡である。 今回の予定にはまったく入っていなかったのだが、 「尖石遺跡」という沿道の標識に 引き寄せられるようにして 車はわき道に入っていったのだった。 かねてから、尖石遺跡の名は聞いてはいたが、…
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諏訪市博物館 を訪ねる (beret-expedition 2007 §1)

待ちに待った「ベレー帽エクスペディション2007」は 信州縄文の旅である。 今回のテーマは、オプシディアン(黒曜石)ということであるが はたして3万年前の日本先住民は、今回の旅で 我々に何を語りかけてくるのか、楽しみである。 beret-eastと茅野で待ち合わせ、さっそく「諏訪市博物館」へと向かう。 諏訪市博物館は、諏…
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生國玉神社(いくたまさん) に参る

「説教節 さんせう太夫」の初演の場所が 天王寺の「生國玉神社」であることを知り、 機会があれば、訪れたいと思っていた。 ちょうど、難波に出かける用事があったので 足を運ぶことにした。 地下鉄谷町9丁目から地上に出ると 上本町から難波方面へ下る坂道が目に入ってきた。 ここらは台地(上町台地)になっている。 先日読んだ「…
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「三内丸山遺跡」を訪ねる

ずっと、行きたかった「三内丸山遺跡」だが、 青森に所用があり、ついでに訪れる。 青森空港に降り、さっそくレンタカーを借りて 付いているナビゲーションシステムに「三内丸山遺跡」と入力する。 田舎道を5kmほど走ると、 自衛隊の駐屯地と大きな総合公園が見えてきて その一角に三内丸山遺跡がある。 昔から、縄文遺跡があ…
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アースダイバー (中沢新一) を読む

「縄文海進」 考古学や地質学で、しばしば出てくる言葉だ。 縄文時代は今より海面が3~5m高かった。 このころの東京はあたかもフィヨルドのように入り組んだ 入り江の多い場所だった。 この名残が、今の東京に読み取れるという。 そればかりか、今の東京の重要なポイントは 縄文時代からの、霊力の高い聖地が多いという。 たとえば…
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加茂岩倉遺跡

荒神谷遺跡をあとにして、次の目的地、「加茂岩倉遺跡」に向かう。 また、ここも大量の銅鐸が埋められたにしては、驚くべき場所だ。 国道54号線から、わき道に入り1kmほど谷を登り、 車は手前の駐車場に止め、そこから坂路を歩くこと10分で 遺跡の場所にたどり着く。 写真でもわかるように、谷の最上流部の山の斜面の中腹に出土…
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荒神谷遺跡

いよいよ荒神谷遺跡にやってくる。 はっきり言ってなぜこんなところから、 大量の青銅器が出土したのかというのが率直な感想だ。 地形的に言うと、出雲平野の端の八手に広がった小さな谷のひとつの 一番奥まったところに出土地がある。 下は遠景したものだが、中央の道の奥、左折したところに発見地がある。 付近を見回…
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先史時代の洞窟

グラヴィーナ川の渓谷の向こうには、いくつもの洞窟が見える。 先史時代の住居跡があるという。 凝灰岩の洞窟を住処にする、CAVEMAN ふと「2001年宇宙の旅」のオープニングを思い出す。
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逃げ遅れた人

逃げ遅れた人の石膏型が残っている。 説明によると、死んだ人の肉体が朽ちた後、火山灰の空洞が残り、 そこへ石膏を流し込んでかたどったもの。なるほど。 当時のポンペイの人口は2万5千人。 そのうち逃げ遅れて死んだ人は2千人ほど。 逃げ遅れた人は、どうも財産をかき集めて逃げ遅れたようで、 何事も欲張るといけないという教訓。
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フォーロ(中央広場)

フォーロはいわゆるポンペイの中央広場である。 まわりには当時の重要な建物が並んでいる。 ここからヴェスーヴィオ火山を遠望する。 かなり火山は遠くに見えるが、 1階部分が完全に埋没するくらいの火山灰が降ってくるとは、 すごい噴火だったのだなあ。 それも3日間も続くとはすごいエネルギーが放出されたものだとあきれる。
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道しるべ

ポンペイの石畳に残されたしるし 何を意味するのか? 実は、娼婦の館の方向を示している。 ふむふむ。 人々の欲望は、いつの時代も同じですね。
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石の宝殿

かねてから行きたいと思っていた、「石の宝殿」にサイクリングを兼ねて行く。 「石の宝殿」とは、高さ5.7m、幅6.4m、推定重量500tの古代石造物である。 伝説によると古代、 大穴牟遅(おおあなのむち)、少毘古那(すくなひこな)の 二神が天津神の命を受け、出雲からこの地に来たとき、 石の宮殿を作ろうとしたが、工…
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