忘れられた日本人(宮本常一)を読む 宮本常一の著作では、まずこの本であろう。幸いなことに図書館で借りたのは、未来社の1960年刊行第一刷であったから、まさしく宮本がこれを世に問うことになった初版本で読むことになる。多くの人に読まれたのか、装丁がきれいにやり直されている。今でも図書館では、このような本の修理をやっているのだろうか。活字も今の電子印刷でない、金属活字本で懐かし… トラックバック:0 コメント:0 2021年02月11日 続きを読むread more
瀬戸内文化史 (宮本常一) このたび神戸から下関まで、在来線を普通列車で旅行した折に、長い車中で読んでいた本である。瀬戸内の文化はまさしく海の文化である。 それは漁業、製塩、海賊、海運などに従事した人々の文化である。 本書は雑誌、新聞に掲載されたものの収録になっており、体系だっていなくて重複するような内容もあるが、瀬戸内海の文化の成り立ちを、考えさせてくれ… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月25日 続きを読むread more
旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三 (佐野眞一) 書題の「旅する巨人」とは宮本常一のことであるが、同時にそのパトロンでもあった渋沢敬三のことを言っているのではないかと思う。渋沢なくしては宮本はいなかったであろうし、また、立場上、旅にその人生を見出すことがままならなった渋沢にとって、自らの旅の足と目となる宮本はなくてはならない存在であった。 本書は、宮本と渋沢の一生を軸にしながら、… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月15日 続きを読むread more
秘境旅行 (芳賀日出男) 読んで、てっきり民俗学者の本だとおもっていたが、芳賀日出男は、実は写真家で民俗研究家ということらしい。 あとがきによると、子供の運動会に土門拳と一緒に写真を写すし、銀座で木村伊兵衛と林忠彦と一緒に呑んで家に帰ってくるとある。 しかし、裏表紙には、折口信夫と宮本常一を師に持つとある。 確かに、挿入されている写真は、昭和30年代の市場… トラックバック:0 コメント:0 2020年03月22日 続きを読むread more
猪・鹿・狸(早川孝太郎) 早川孝太郎は、画家をめざしていたが、松岡映丘と親交があり、その兄柳田國男と出会い民俗学者となった。 この本は、三河地方横山の動物伝承を集めて、大正15年に刊行された。 この地は山と里の交流が盛んな土地柄であったため多くの話が集積した。 彼の遠野物語がそうであるように、現実と空想が混然一体となって、猟師が語る話を記録し、独自の世… トラックバック:0 コメント:0 2018年05月05日 続きを読むread more
ヒガンバナ探訪録(有薗正一郎) ヒガンバナの起源は、長江下流流域であり稲作とともに縄文時代にもたらされたというもの。 ヒガンバナの分布は、朝鮮半島にはなく、長崎県、佐賀北部にはあることから、黄海横断ルートでもたらされたという。 たしかに、ヒガンバナは人里、それも水田の畦畔に多くみられるから、稲作と関係する植物であることは間違いない。 地下茎にでんぷんを含… トラックバック:0 コメント:0 2018年03月19日 続きを読むread more
日本のアジールを訪ねて(筒井功) この本で言う「アジール」とは、非常に狭義で、日本の中世~近世の漂泊民の住処ということである。 いわゆる「セブリ」と呼ばれた場所のことを述べている。「セブリ」という言葉は初めて聞く。はたしてこれはアジールと同義であろうか。 むしろ、「サンカ」と呼ばれた漂泊民についての、全国各地のルポが詳しい。 そういった意味で、漂泊民について、わず… トラックバック:0 コメント:0 2017年03月12日 続きを読むread more
宮本常一離島論集(全国離島振興協議会監修) を読み始める 宮本常一といえば、民俗学者、オリンパスペン、離島振興法を思い浮かべる。その離島振興法が議会を通過し、離島振興協議会の機関紙「しま」に掲載された論集の集大成を見つけてしまったので、思わず読み始める。 離島振興法が成立したのは、昭和28年(1953)であるが、すでにその時、日本津々浦々の離島の退廃が進んでいたこと、それから60余年、そ… トラックバック:0 コメント:0 2017年01月29日 続きを読むread more
南方熊楠生誕地を訪ねる(和歌山市橋丁) 日本3大巨匠ベレーの1人である南方熊楠は、 田辺の人と思われているが、生誕地は和歌山市である。 今回は、生誕地を訪ねることにした。 (田辺 南方熊楠顕彰館 http://beret-west.at.webry.info/200809/article_3.html) 和歌山市の玄関口は、 南海電車とJRと… トラックバック:0 コメント:0 2014年10月30日 続きを読むread more
カヤの実(榧実)を食べる 但馬にいたときに、カヤの実を手に入れ保存していた。 ふと、思い出し食べてみることにする。 カヤは、漢字では「榧」と書く。 高木になる常緑樹で、碁盤や将棋盤の材になることで知られている。 但馬でも山中に自生しているが、見かけることは結構少ない。 葉はクリスマスのモミノキの感じに似ている。 実の形は、アーモンドに似ている… トラックバック:0 コメント:0 2014年06月15日 続きを読むread more
大晦日、そして、注連縄のウラジロのことなど 2013年も終わろうとしている。 出来合いのお節を取りに行く途中、近所の小山に寄り道する。 まだ、ここいらが造成される前の風景の断片が残っている山だ。 ツバキとか、コウヤボウキの花の跡とか、懐かしい冬の里山が見れる。 しばらく歩くと、ウラジロ羊歯の大きな群落に出くわした。 ウラジロは、注連縄や鏡… トラックバック:0 コメント:0 2013年12月31日 続きを読むread more
コメを選んだ日本の歴史(原田信夫)を読む 「戦いの発生」や「肉食の忌」など 日本ほど、コメに執着した民族はいない。 コメを主軸にした日本通史。 興味深く読む。 「稲作がもたらした弥生の社会構造の変化(特に戦争)」が興味を引く。 簡単に整理すると 食糧の安定化 社会の分業化 村レベルを超える石器の外部移入 朝鮮半島からの金属器の流入 専門集団(金属器、流通)の登場 社会的余… トラックバック:0 コメント:0 2013年06月29日 続きを読むread more
穴を開けた石を供える小堂 (大屋町笠谷・薬師如来堂) 但馬に来て、仕事で山野に分け入ることが多く、 時々、不思議なものに出会う。 これは、2月に大屋町の谷奥の小堂で目に留まったもの。 穴の開いた石を針金に吊るしている。 かなりの数である。 たまたま、同行していた人に尋ねると、 「耳の神さんで、よく効くようです。」とのこと。 それ以上のことは、よく判らなかった。… トラックバック:0 コメント:0 2013年06月08日 続きを読むread more
「宮本鍛冶山内遺跡」を訪ねる 今回の目的地の1つ、「宮本鍛冶山内」を訪ねる。 アクセスは国道9号線から県道286号に入り「智呑」という集落からさらに枝谷に入る。 地図にも印がなく、はじめて行くものにとってはたいそうわかり難い。 県道から山道を15分ほど入ると谷の広がった場所に出る。 ここが宮本山内だ。 田儀櫻井家のたたら製鉄の中心地である。… トラックバック:0 コメント:0 2011年10月22日 続きを読むread more
離島の旅(宮本常一)を読む 有吉佐和子の「日本の島々、昔と今」と並行して読む。 昭和39年刊行の古い本である。 内容は、今となっては、離島の過去の記録でしかない。 しかし、この本の意味は、 あとがきに宮本常一が記している。 観光客がいったいどれほど観光地に住む人たちの 邪魔をしないで寄与しているであろうか。 その生活を破壊する側にまわってはい… トラックバック:0 コメント:0 2011年01月09日 続きを読むread more
初詣 山の神のことなど 近所の氏神に初詣に行く。 ニュータウンができる以前からある産土神である。 神社の隅に、「山の神」を祀っていたので、 興味深く、ベレー帽心で観察する。 6体あり、ちゃんと鏡餅も供えてある。 形状は同じだが碑の字体も異なり、別々に作られたようだ。 なぜ6体か。 六地蔵と同じく、 地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天… トラックバック:0 コメント:0 2010年01月02日 続きを読むread more
翁の発生(折口信夫) 翁は常世人であり、まれびとでもある。 沖縄 八重山 にない、かないの国の神 常世の国を山中に想像するようになったのは 海岸の民が山地に移動したから 山姥は、山ノ神の巫女 神を育てるものとして、坂田金時の母 柳田國男 「雪国の春」春のまれびと 「なもみ」は火だこのこと 火だこが生じるような怠け者を… トラックバック:0 コメント:0 2009年07月09日 続きを読むread more
日本の村の構造 についてのメモ 村には鎮守様があり、森がある。 アニミズムの記憶 村には寄り合いがある。 縄文遺跡のまんなかは広場になっている。 民主主義の原点 村には死者が住む。 死者の住む空間が村にはある。 死者を中心とする道徳の体系 遠野 デンデラノ 2004.10探訪 日本人の生死感 死んでも魂は山(森… トラックバック:0 コメント:0 2009年05月23日 続きを読むread more
古代米玄米餅「あか穂実り」 頂きものの「古代米玄米餅」を食べる。 素朴な味で、ゆっくり何度も噛むとほのかな甘みが出てくる。 古代米は、赤米、黒米、緑米などがあるようだが、 「あか穂実り」というだけに、赤米が原料であろうか。 食べながら 柳田國男の「大唐田または唐干田という地名」という話を思い出す。 柳田は「トウボシ」とい… トラックバック:1 コメント:0 2009年03月08日 続きを読むread more
南方熊楠顕彰館を訪ねる (beret-expedition2008 §2) 今回の熊野旅行の出発点は田辺である。 42号線を走ったおかげで、12時過ぎに田辺市内へ入る。 なかなかこじんまりと趣のある町並みだ。 田辺と言えば、ベレー帽にとって避けて通れない 南方熊楠が居住していたところだ。 beret-estと熊楠顕彰館で落ち合う。 顕彰館は入場無料で、熊楠関係のパネル展示がしてある。 … トラックバック:2 コメント:2 2008年09月13日 続きを読むread more
仲町洗濯場組合 とは何か (beret-expedition 2007 §3) ベレー帽は些細なことも見逃すわけにはいけない。 諏訪博物館のそばに温泉が自噴していて この温泉を利用した洗い場がある。 この洗い場は、だれでも使えるものではないらしく そばに、看板が立てられていて 「仲町洗濯場組合」として41名の名簿が掲げてあった。 どうも、排他的に温泉を洗濯場として利用しているらしく このよ… トラックバック:0 コメント:0 2007年09月08日 続きを読むread more
田尻民俗資料館を訪ねる (濱本鶴賓のふるさと) 「田尻」は福山から鞆へ向かう道沿いにある半農半漁の集落である。 ここには、民俗資料を集めた「田尻民俗資料館」がある。 福山の偉大な郷土史家「濱本鶴賓」はこの田尻の出身である。 彼が収集した資料のいくつがが、ここに収められており 資料館の前には彼を顕彰する案内板が設置されていた。 はるか明治の人ではあるが… トラックバック:0 コメント:0 2006年04月14日 続きを読むread more