テーマ:松尾芭蕉

影の日本史にせまる(嵐山光三郎・磯田通史)

和歌~連歌~俳諧という歴史の中で、その時々に活躍した西行~宗祇~芭蕉は何者であったか。 彼らは、全国を遊行し、各地で歌の会を開きながら実は各地の情報を時の権力者に伝えるという役目をしていたという。 歌の会には、地方の権力者、財界人が当然集まるし、その席では雑談の中でいろいろな情報が得られたのだろう。 今でいう、接待ゴルフで情報を得…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

松尾芭蕉の墓碑を訪ねる

松尾芭蕉は、大坂でなくなったことは知ってはいたが、 その亡骸は、大津に葬られていることは知らなかった。 大津に所用があったおり、 そのことを知り、墓碑を訪ねた。 大津の浜街道という、東海道に並行する旧道に面した 義仲寺という小さな寺に墓碑がある。 入口で拝観料を払って中に入ると、こじんまりとしているが、 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

膳所と芭蕉 「かるみ」を知る

膳所の街角に 「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」という 芭蕉の歌碑があり、 特段に気に留めずにいたが、 後日、「奥の細道」について調べていて、 膳所は芭蕉にとって、縁の深い地であることを知る。 その日の夕刻、大学時代の古い知人と、 大津の古い町屋の飲み屋で久しぶりに呑む。 これも何かの縁である。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

悪党芭蕉 (嵐山光三郎) を読む

読み終えて芭蕉の人物像がすっかり変わってしまった。 「旅する風雅人」として、芭蕉を見ている人は多いと思う。 しかし、門下1000人といわれる芭蕉一門は、 ねたみ、嫉妬、名声欲求、スキャンダルが渦巻き、 芭蕉自ら衆道を公然とする、どろどろした世界である。 このような中で、門下の俳人を束ね、 興行としての歌仙を滞りなく、まと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more