テーマ:古代

日本一小さい考古館「有年考古館」を訪ねる

373号線に入るとすぐ「有年考古館」の入口標識が目に止まる。 標識に従い、田んぼ道をしばらく行くと、 昔の小学校風の建物が目に入る。 これが「有年考古館」である。 そばの解説板によると在郷の医師、(故)松岡秀夫氏が 昭和25年に設立した私設博物館である。 入ろうと思ったが入口が施錠されていた。 裏手に廻…
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柏原市立歴史資料館 を訪ねる

柏原市は古墳の数が日本一多いとか言われている。 その柏原市に歴史資料館があるのでさっそく行ってみた。 JR高井田駅の北の住宅地の中にひっそりと建っている。 入館料無料というのもありがたい。 館の入口に柏原市の文化財の電光位置図がある。 古墳 のボタンを押すと、このように真っ赤である。 (発光ダイオードが点…
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中将姫伝説 (beret-expedition2009§7)

中将姫の墓と伝えられる十三塔が 當麻集落の共同墓地の一角にある。 3mほどの花崗岩製のかなり立派なものだ。 しかし、ちょっと目立たないところにあるので、 ベレー帽2人組も、見過ごしそうになった。 【中将姫伝説】 藤原豊成の女、中将姫が当麻寺で出家し 蓮糸で浄土曼荼羅を織ったという伝説。 能とか浄瑠璃の題目…
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奈良県當麻から二上山に登る 大津皇子の陵 (beret-expedition2009§5)

いよいよ今回のメインである二上山登山。 登山口はいくつかあるが、當麻から雄山を目指す。 標高は517mでたいしたことはないと思っていたが、 結構、ハードでこの季節に汗ばむ。 登山道はよく整備されていて、 いい感じの木立の中を登る。 50分ほどで大津皇子の陵 陵というほどの大きさでもなく小さな塚という感じ…
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「近つ飛鳥博物館」のオーディオガイドにうんざりする (Beret-expedition2009§1)

今年のBeret-expeditionのテーマは「二上山」である。 二上山は「サヌカイト」の産地であり 「大津皇子」の「中将姫伝説」で有名な地。 beret-estと喜志駅で待ち合わせ、 まず「近つ飛鳥博物館」で情報収集する。 モノリス(一本石)のような博物館の外観が印象的 展示物は豊富で、古代河内の…
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翁の発生(折口信夫)

翁は常世人であり、まれびとでもある。 沖縄 八重山 にない、かないの国の神 常世の国を山中に想像するようになったのは 海岸の民が山地に移動したから 山姥は、山ノ神の巫女 神を育てるものとして、坂田金時の母 柳田國男 「雪国の春」春のまれびと 「なもみ」は火だこのこと 火だこが生じるような怠け者を…
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古代米玄米餅「あか穂実り」

頂きものの「古代米玄米餅」を食べる。 素朴な味で、ゆっくり何度も噛むとほのかな甘みが出てくる。 古代米は、赤米、黒米、緑米などがあるようだが、 「あか穂実り」というだけに、赤米が原料であろうか。 食べながら 柳田國男の「大唐田または唐干田という地名」という話を思い出す。 柳田は「トウボシ」とい…
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平城宮跡に立つ

西大寺駅から歩いて15分ほどで平城宮跡の中心部に立つ。 朱雀門から入って、正面に見える覆い屋根が復元中の大極殿。 残念ながら、都の跡に立つという感慨がまったくわかない。 付近はのどかな水田跡が広がり、雲雀の鳴き声が聞こえ ジョキングや野鳥観察をする人が見える。 はるか東に若草山が見える。 1200…
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花の窟 を訪れる (beret-expedition2008 §7)

はイザナミノミコトがカグツチを生んで 両者が葬られた地として 日本書紀に熊野の有馬村と記されたところだという。 今回、ぜひ訪れたいと思っていた場所だ。 砂岩と思われる50mほどの崖に いくつか侵食によってうがたれた穴が見える。 崖の頂上から、梯子状に編まれたかざりのついた縄が 海岸の松林まで引かれている…
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「渡来の民と日本文化」(沖浦和光・川上隆志)を読む

播磨に勤務して何年かが過ぎた。 この地に残る、一種独特の技術風土を感じていたが それが何からくるものか考えていた。 この本を読んで、その疑問が解き明かされた。 その技術の担い手となったのは、大陸からの渡来人である。 渡来人も大きく分けて2種有り 畿内の中央政府に属したものと その外縁部や畿内でも在野に居住したものがある…
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伊勢神宮 に参る (3) おはらい町と内宮

内宮は外宮と打って変わって大勢の参拝客でごった返している。 やはり、おはらい町(参宮街道)という鳥居前町が集客力を発揮していると思う。 昔も同じような賑わいだっただろう。 当然、色町なんかもあったに違いない。 人が集まるからあるのか、あるから人が来るのか。 参宮街道の裏は五十鈴川の河原である。 市と河原、お決…
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垂水日向遺跡 や 宝篋印塔(遊女塚)  諸々  

垂水に買い物に出かけたついでに、ベレー帽してみる。 天気がとてもいいので、以前行った五色塚古墳から 明石海峡を見ようということで、 歩いていると、「宝篋印塔(遊女塚)」なる立て札に出くわす。 それは、墓所の中に、高さ4mもある宝篋印塔(ほうきょういんとう)であった。 宝篋印塔は五輪塔などと同じ仏塔の一様式で、 各地の寺院…
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網干から赤穂までの海岸線を走る (網干・室津・坂越)

秋晴れのいい天気。 サイクリング仲間と網干から赤穂までの海岸線を走る。 交通量の多い国道を避けて、 古い街道と町並みを選んで走った。 自転車で走るには最適のコースだった。 網干(興濱)の古い町並みを通りかかると ちょうど秋祭りの屋台を引き出しの最中で テコを使って方向転換するところに出くわした。 祭り屋台…
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諏訪大社上社 に参る (beret-expedition 2007 §2)

諏訪博物館の前は、諏訪大社上社の門前である。 博物館で仕入れた知識をもとに、さっそくお参りすることにする。 諏訪博物館から参道を入り、鳥居をくぐると 本殿入口への階段があるが、実はこれは登ってはいけない。 順路は左を指し示しており、 別の鳥居から伸びる回廊を通って、本殿の入口に向かう。 さて、入口の正面が本殿かと…
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生國玉神社(いくたまさん) に参る

「説教節 さんせう太夫」の初演の場所が 天王寺の「生國玉神社」であることを知り、 機会があれば、訪れたいと思っていた。 ちょうど、難波に出かける用事があったので 足を運ぶことにした。 地下鉄谷町9丁目から地上に出ると 上本町から難波方面へ下る坂道が目に入ってきた。 ここらは台地(上町台地)になっている。 先日読んだ「…
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「五色塚古墳」に登る

垂水に用事があったので ついでに「五色塚古墳」に行くことにする。 昔はJR(国鉄)から、松の茂った小山が見えるだけだったが きれいに整備されて、築造当時に近い姿が見れる、 日本でもめずらしい古墳だ。 「五色塚古墳」は4世紀終りころの築造といわれている。 古墳は平野にあるものが多いが この古墳は、大阪湾と明石海峡を望む海…
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桃太郎と邪馬台国  吉備津神社と鬼城山を訪ねる

みんなが知っているおとぎ話から 日本古代史の謎にせまる、興味ある内容。 時間を忘れて読み終えた。 桃太郎は吉備(岡山)のキャラクターになっているが、 やはりそれなりの理由があったのだ。 桃太郎の従者が「犬、猿、雉」である意味も読み解く。 3年ほど前、吉備路に遊んだ折、 「吉備津神社」や温羅伝説のある「鬼城山」を訪れた。…
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荒神谷遺跡

いよいよ荒神谷遺跡にやってくる。 はっきり言ってなぜこんなところから、 大量の青銅器が出土したのかというのが率直な感想だ。 地形的に言うと、出雲平野の端の八手に広がった小さな谷のひとつの 一番奥まったところに出土地がある。 下は遠景したものだが、中央の道の奥、左折したところに発見地がある。 付近を見回…
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出雲玉造遺跡

玉造は温泉で有名だが、縄文から古墳時代末期にかけての 玉造の工房跡があったところだ。 今回はスケジュールに入れていなかったが、 荒神谷遺跡への通り道だったので立ち寄った。 史跡公園として整備されていて、朝露の降りた園内を歩くと はるか古代人がここで勾玉や環を作っていたことが空想でき、 いい感じである。 ただ、遠…
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石の宝殿

かねてから行きたいと思っていた、「石の宝殿」にサイクリングを兼ねて行く。 「石の宝殿」とは、高さ5.7m、幅6.4m、推定重量500tの古代石造物である。 伝説によると古代、 大穴牟遅(おおあなのむち)、少毘古那(すくなひこな)の 二神が天津神の命を受け、出雲からこの地に来たとき、 石の宮殿を作ろうとしたが、工…
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鞆の浦

鞆の浦は、ながらく訪れたいと願っていた街である。 鞆の歴史は古く、真偽のほどは置くとして、 神功皇后が朝鮮出兵の折に鞆に立ち寄ったという。 それを思わせるものとして、「渡守神社」の由来や 「皇后島」なる島も見受けられる。 少なくとも、古くから海上交易で栄えた街であることは 確かである。 宿舎は鞆の対岸にある「仙…
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