菅谷たたら山内 を訪ねる

いよいよ今回の重要テーマである「たたら」を訪ねる。
「菅谷たたら」は、雲南市吉田(旧吉田町)にあり、
「高殿」と呼ばれる、「定置たたらのシステム」が
国内で唯一、すべて残っている場所である。

国道からのアクセスのルートは2つあり、吉田町内から陣ケ峠を越えるルートと
別の峠を越え、菅谷川の最上流から入るルートがある。
車なら前者が便利であるが、あえて後者を選ぶ。
たたらを支えた山も見ておきたかったからである。

山並みは意外になだらかで、かなり奥地まで水田がある。
ある文献で読んだことがあるが、砂鉄を求めて「かんな流し」を繰り返し、
山の形が変わったり、河川には土砂の堆砂が激しく
地形が変わったこともあるという。
もう年月がたって、そのような面影は残念ながら見当たらなかった。

車1台がやっとの道を30分ほど走ると、谷が開けた地形に出る。
ここが、「菅谷たたら山内」である。
「山内」とは、たたらに従事する人々が
住んでいた地域のことを「山内」と言う。

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中央の圧倒的な存在感であるのが、「高殿」と呼ばれる「たたら」作業場である。
大きな木はカツラで、鉄の神である「金屋子神」が降臨する木である。
その左の建物は「大ドウ(金偏に胴)場」と呼ばれる、製品の「鉧」を小割にする小屋である。




「高殿」の近景だ。優に500m2はあると思う。
築造は1751年とある。保存状態は極めてよい。
大正10年まで操業が行われていた。
天井は製鉄の炎に備えて10mほどの高さである。
操業中は屋根は板ぶきで取り外すことができ、煙突状にすることができた。
天井の梁は、耐熱のために粘土で覆ってある。

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内部はかなり暗い。製鉄時に炎の様子を見るためである。
中央に粘土で作り上げた炉があり、
それに酸素を供給する「ふいご」が両脇にしつらえてある。

「ふいご」は「番子」という人が踏んでいた。
ふいごの送風が止まると、製鉄が台無しになるので
この労働は大変であった。
「一所懸命」というのは、ふいごを同じ場所で踏む様から来ているという。
また、さすがに疲れるので「番子」は交代制で行うが、
これが「代り番子」の語源だという。

近代では水車を動力にして、
外部から送風管で空気を搬送するシステムになった。
現在残っているのは、これである。

写真奥の明るいところは、「たたら」を取り仕切る「村下」の休憩席で
その際に、炭を供給する「炭坂」「炭焚」の席もある。


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注連縄の奥は、砂鉄をストックする場所「小鉄町」である。
その両脇には、燃料の炭をストックする場所「炭町」がある。
砂鉄の追加供給は「村下」が火の色を見ながら行った。

「たたら」は過酷な労働で、三日三晩、不眠不休で行われた。
三日三晩が人間の体力の限界であろう。
すべての指揮は「村下」が行い、たたらに入る前には、たたらの神である
「金屋子神」に参り、「みそぎ」をして、特に「村下」は特別の進入路から
高殿へ入った。

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高殿の脇にある小さな坂道が「村下」だけが通る進入路である。
良質の和鋼を生産するには、いっときの気も抜けない。
ある意味では、神がかり的な精神力が必要だったのかもしれない。
このようにして生産された玉鋼を使い、鍛えられた日本刀には
やはり、何か精神的なものが宿ってしかるべき感じがする。



さて、三日三晩で生産された鉧は、たたらから引き出され
高殿の前にある、「鉄池」で急冷される。
この方法は、「水鋼」と呼ばれ、出雲たたらに多い。
鉧の巨魁を引く「ろくろ」も再現され、池の底には、
今でも「金くそ」が転がっていた。

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冷却された鉧は、「大ドウ(金偏に胴)場」に運ばれ荒割される。
水車の動力で持ち上げられた、ハンマーを落下させ割るのである。
水車の動力がない時代はどうしていたのであろうか。

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「大ドウ場」で荒割された鉧は、さらに小割して製品として出荷するため
「元小屋」と呼ばれる作業小屋に搬送される。


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これが、「元小屋」の全景である。
天保年間(1830ごろ)の築造といわれる。
2階建て杮葺の、端正なつくりで、よく保存されている。

ここは、作業場のほかに、このたたらを経営管理する帳場もあったようだ。
「村下」はあくまで、技術者であり、この地域のたたらを総合管理する
「田部家」から派遣された「番頭」が帳場を仕切っていたようだ。
他に、台所、風呂場、座敷もあり、
窓には明治初頭の「波うちガラス」が残り、
このような山中にありながら、当時の裕福度が偲ばれる。


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荒割された鉧は、ハンマーによってこぶし大の
ブロックにされ、木箱や袋に詰めて、出荷する。
当時の工具がそのまま保存されていた。
宮崎駿のアニメ「もののけ姫」では、たたらが舞台になっていたが
その中に、このような「元小屋」の場面があり
作業する人気はないが、まったくそのままの世界である。

製品の和鋼は、馬に振り分け荷にされ、川舟のあるところまで
運び、松江から「鐵泉丸」という専用船で全国へ運ばれたという。
江戸時代、このような山中の集落が
日本全国とつながりを持っていたことは、大きな驚きである。


「菅谷たたら山内」に滞在すること2時間弱。
ここを管理する方のご好意で、熱心に詳しい説明をしていただいた。
このサイトを借りて、感謝したいと思う。
もっとゆっくり、ここに残された「たたら」の記憶に触れたいのだが
帰りの時間の制約で後ろ髪を引かれる思いで、
「菅谷たたら山内」の集落に別れを告げた。

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この記事へのコメント

beret-east
2006年11月04日 14:22
高度に工業的な製品が、こんな神話的コンテキストの中で長い間続けられてきたことに改めて感嘆する。工業的製品といえども宇宙と自然にきっちり根付いていることが忘れられて久しい。技術と自然の関係をもういちど考えてみなくちゃあならない。工学系大学院を出ると、Ph.D.が授与されるが、ホントにフィロソフィーが分かっている博士がいったいどれだけいるのだろうか?
くま (beret-west)
2006年11月05日 15:10
おっしゃるとおりです。今回の先生のご指摘にヒントを得て、過去に見たアニメ映画を思い出し、その感想を「アリーテ姫」としてブログにしたためました。またご覧ください
kingcotz
2006年11月19日 21:54
この間、山城跡の斜面調査の帰り、先生から四国(今治市)にたたら遺跡があると伺った。びっくりしたが、はぁ、そうですか、すごいですね。としか応えられなかった(知識がないため)。あとで、ネットで調べたところ“高橋佐夜ノ谷Ⅱ製鉄遺跡”がそのたたら遺跡であった。そういえば、KUMAさんは玉湯の丘の上の博物館で紅色の石を見られませんでしたか?実は四国の三波川帯で採れるコウレンセキ片岩が玉造まで運ばれていたのです。四国にたたら遺跡があっても不思議ではないと感じ入った次第です。
KUMA
2006年11月19日 22:36
四国にもたたらがありますか。小規模なたたら(野たたら)は結構あちこちにあったようです。淡路にいたとき、たたらの関連小字名を研究している人がいて、文献をもらいましたが、大人(おびと)という字名は渡来系のたたら技術者がいた地名だそうです。この地名は淡路にも結構あるようです。高橋佐夜ノ谷も多々羅という地名が決め手のようですね。
玉造の紅色の石はちょっと気がつかなかったです。古墳時代に四国と出雲が交易していたのですね。
大和島根
2008年10月31日 23:58
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
2008年11月01日 15:11
大和島根さん
コメントありがとうございます。
2006年の出雲expeditionでは荒神谷、加茂岩倉遺跡を巡った後に菅谷たたらにやってきましたが、青銅器が葬られた後に鉄器がやってきたと考えると、荒神谷や加茂岩倉の大量青銅器埋設もうなずけますね。
西谷、妻木晩田は時間もなくいけませんでしたので、近いうちに訪れたいと思います。
また、コメントよろしく
トンテン館
2011年08月26日 17:04
この夏に家族で山陰を旅行し、菅谷たたらを訪れました。
日々手にする包丁から鋼への興味が湧いて、山陰に行くならたたら場を見たいと軽い気持ちで出掛けたのですが、行って良かった。
案内してくださる地元の人の熱心さにも心打たれました。
2011年08月27日 21:58
トンテン館さん
家族で菅谷たたらに行かれたのですね。いい旅をされましたね。私もここを訪れたときは、よくぞ今まで残っていたものだと感動しました。たたらの完全な遺構があるのは全国でもここだけですから。
2014年12月29日 17:24
昨年10月に30年来の念願が叶い菅谷山内を訪問してきました。きっかけは司馬遼太郎の「砂鉄のみち」(『街道をゆく』7巻)でした。島根路は古代ロマンいっぱいでした。改めて訪問記をブログにUPしようと奮闘中です。そこで、本ブログの最後の写真をお借りしたいと思います。
2015年01月05日 23:44
げったむさん
念願の菅谷山内に行けてよかったですね。写真は、出典さえ明記していただければ、ご自由にお使いください。山陰には、たたらの遺構があちこちにありますが、菅谷ほど完全なものは他にありません。山陰、特に出雲は古代史に思いを馳せるものが多いです。当ブログでも結構取り上げていますのでまたご覧ください。

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