朱円環状土籬を見る(環状列石)(知床紀行§6)

地図では「環状列石」と記載されているものもある。
表示看板には「環状土籬」とある。
「ストーンサークル」として名を聞くが一度見てみたいと思っていた。

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漢和辞典を繰ると 籬>まがき とあり
「柴や竹を編んで作った垣根」のこと。

よく見ると、いくつかの墳墓を囲む土塁が見える。
実はここの墳墓は、土塁を巡らしているので「土籬」(ドリ)である。
だからここは「ストーンサークル」ではなく「土籬」が正しい。

地図の表記は
どうもスコットランドなどにある「ストーンサークル」のイメージと
混同してしまっているようだ。
ストーンサークルは「石籬」(セキリ)と言うようだ。




これは、土籬の内部の墳の1つだ。
これを見るとストーンサークルをイメージしてしまうが
いくつかある他の墳はこれほどきれいに石は並んでいない。

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土籬は2つ並んである。

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これが大きいB号土籬
中に1つだけ石墓がある。
これが首長の墓で、隣のA号土籬が家族のものだろうか。
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2千年から3千年前、いわゆる縄文時代のものである。
3千年前の墳墓の跡がよく保存されていたものだと感心する。
昨年行った、信州の縄文遺跡のことを思い出す。



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落葉が雨にぬれてしっとり。
晩秋のミュンヘン・イングリッシュガルテンに思いをはせる。





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