生野銀山

一度行きたかった生野銀山跡を訪ねる。
入口には菊のご紋の門柱が残されていて興味をそそる。
明治22年に、宮内庁御料局の管轄になったからだそうで
つまり、皇室の財産だったということだ。

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生野銀山は807年に開山されてから
当時の権力者の財源として開発されてきたということだ。

一方で過酷な労働をしいられた鉱山労働者の展示もあり
ちょっと暗い気分になる。

近代化以前は
狸穴と呼ばれる、人一人がやっと入れるトンネルに
灯明をたよりにノミで掘り続ける。
このように山肌に、狸穴の入口が残されている。

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坑道の中を歩いて廻る。
巨大な縦坑の巻き上げ機やトロッコも残されているが
地下水の湿気で赤錆びて、朽ち果てそうである。


これは、銀鉱脈を掘り尽くしたあとがそのまま
大きな山の割れ目で残っているというものだ。

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鉱脈の幅と傾斜が実感できる。


このあと、生野の街中も散策したが、
銀の採掘で莫大な富が産出されたにもかかわらず
残された町並みにはあまり豊かさは感じななった。

同じ明治期に、
ちりめんの生産で富をなした丹後の加悦に行ったことがあるが
ここは、なかなかの町並みが残っていて
当時の町の裕福さが分かったのにえらい違いである。

きっと、生野の場合、時の権力に富を吸い取られて
地元にはまったく蓄積されなかったというのが現実なのだと思った。






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