太陽の塔からみんぱくへ 国立民族学博物館40周年記念特別展図録

昨年末に久しぶりに国立民族学博物館に行ったのだが、1970年の万博のために収集した資料は今なお興味引くものが多い。

そもそもこれらの資料は、太陽の塔の地下に展示されていたものであり、これは、岡本太郎がパリで民族学と出会い、当時未開芸術と呼ばれた民族資料に人間の生命力を見出したことと無関係ではない。

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万博のテーマは人類の「進歩」と「調和」だったのだが、岡本太郎はこの2つともを疑って、あの大屋根を「太陽の塔」という「ベラボーなもの」を貫通させ、アンチテーゼのシンボルとしたのだった。

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太陽の塔は、岡本芸術の「対局主義」「反骨精神」そのものであり、「アンチハーモニーこそは本当の調和」「戦わなければ調和は生まれない」と述べていたことそのものである。

万博の科学技術信仰と経済繁栄の欲望、それに対峙した根源の世界の象徴としての民族学資料、両者の共存こそ岡本太郎が意図した、「調和」であったのではないか。


今思えば、当時の一般人からすると、太陽の塔はけったいなものであり、岡本太郎はけったいなおじさんであった。しかし、あれから半世紀たった今、岡本太郎のいいたかったことが理解できた。時代がやっと追いついたのだ。
岡本太郎の思いを気付かさせてくれた本であった。

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一方そういった民族資料収集に関係した中心人物として、泉靖一と梅棹忠夫がいるが、その背景には、渋沢敬三の屋根裏博物館、すなわち1939年に開館した日本民族学会附属民族学博物館があり、彼らはその主要なメンバーであった。そして、その展示のプロデューサーに選ばれたのが、パリ大学で民族学を学んだ岡本太郎であった。



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