「丹波天女羽衣伝説地」の謎を解く

コロナ禍で旅行がままならないので、Google mapで時間旅行する。テーマは「丹波天女羽衣伝説」である。

全国各地にある天女羽衣伝説は、天女が地上界に降りて、泉で羽衣を脱いで水遊びをしていたところ、その土地のものが、天女の羽衣を隠してしまい、天上に帰れなくなった天女をしばらく地上界に滞在させる。というもので様々な類型がある。

その中で「丹波天女羽衣伝説」はもっとも古いと言われ、原型は「丹波国風土記逸文」の「奈具社」の項に残されているものと言われる。

「丹波国風土記逸文」の該当部を要約すると、

丹後国丹波郡の郡衙の西北隅に比治里がある。この里の「比治山」の頂上に「真奈井」という泉水があり、今は水が枯れて沼になっている。この泉水に8人の仙女が降臨して沐浴していた。

ところが、和奈佐という老夫婦がやってきて、こっそり仙女の1人の羽衣を隠す。ほかの7人の仙女は、衣をまとい天上に帰るが、1人だけ帰れない。

子供のいない老夫婦は、この仙女を養女に懇願する。天上に帰れなくなった仙女はしかたなしにとどまる。この仙女の造る酒は万病に効くので、この地は富みこの地を土形里(ひじかた)と呼ぶようになり、今では「比治里」という。

やがて、老夫婦は、なぜか仙女を疎むようになり、家から出ていくように告げる。仙女は嘆き悲しみ、行く当てもなく村を出て、たどり着いた村で「私の心は荒い塩をなめたようです。」と言った。それでその地を「荒塩村」という。

また、次の村で槻の木に寄りかかり泣いたので、ここを「哭木村」(なき)という。

最後にたどり着いた村で、やっと心の平穏を得たので、「奈具」(なぐ)といい、ここに留まり、これがいわゆる豊宇賀能売命を祀る「奈具社」である。

このように多くの地名が残されている。旧峰山町に残る延喜式内の神社名が、これらの地名に対応する。
これを、Google mapにプロットしてみると興味深いことが考察できる。(名のないプロットは延喜式内神社と古墳など)


丹後仙女降臨伝説関連地.jpg


まず、「比治山」であるが、これは現在の峰山町久次の「久次岳」あるいは峰山町鱒留の「磯砂山」といわれている。そのふもとにあるのが、それぞれ「比沼麻奈為神社」(ひじまない)と「藤社神社」(ふじこそ)である。

「比沼麻奈為神社」と「藤社神社」の間では、長らく豊受大神宮の祖を巡る論争があったといわれるが、いずれにせよ、このあたりが「比治里」であり、その源流にあるのが、「久次岳」なり「磯砂山」であるのは間違いない。

ここで注目したいのは、その祭神が、比沼麻奈為神社が豊受大神、藤社神社が保食神(ウケモチノカミ)という点である。
つまり、両社とも食糧生産の神であり、その奥宮である「比治山」はその最上流にあり、農業になくてはならない水の泉源、すなわち仙女が沐浴していた泉がある場所である。

これは何を物語るかと言えば、古代、おそらく大陸から、稲を携えてきた集団(仙女)が、原住民(老夫婦)とともに、水利のよい、洪水被害の少ない鱒富川最上流部に耕地を開き、その米で酒を造り、繁栄を迎えるが、老夫婦が、なぜか仙女を疎むようになり、家から出ていくように告げるのは、やがて人口増とともに、他所に移転し、広まったことを示すのではないか。

次に移転したのは、隣の流域の竹野川上流部の「荒塩村」であったが、先の「比治里」のあった鱒富川より流域が大きいため、利水や治水が困難で、さらに下流の中流域の「哭木村」ではさらなる困難があった。

時を経て、やっと最下流の「奈具」まで水田が広げることができ、この流域が豊穣の地となり、ここに祖先を祀る「奈具社」を建立した。


以上が、農業土木的見地から紐解いた私説「丹波天女羽衣伝説」である。
いつか現地を訪れ、はるか昔の風景に思いを馳せたいと思う。




参考文献
渡来人の遺跡を歩く1 山陰・北陸編 - 段煕麟
渡来人の遺跡を歩く1 山陰・北陸編 - 段煕麟

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