太平記の時代(倉山満)

南北朝時代のことを本音?で書いてあるというか、教科書的な歴史書には出てこないことを書いてある。
南北朝時代というのは、教科書的には、鎌倉幕府が滅んで、後醍醐天皇が出てきて南朝と北朝が対立して、建武の新政があったと思えば、足利尊氏が室町幕府を開いてしまった。となるのだろうが、よくよく見てみると、日本史の中でもっともわかりにくく、何が正なのか、どの方向に向かっているのかわからない時代だ。


南北朝時代の終焉は、天皇(公家)社会が終わり本格的な武家社会の到来であるが、必ずしも太平な世の中になったのではなく、その後の室町幕府も足利直義と高師直の対立が激化する。

そんな中で、婆娑羅(バサラ)と呼ばれる者たちが登場する。婆娑羅はサンスクリット語で金剛石を意味するバージャラから来たとされる。このことから「強い」「力がすべて」「遠慮のない」「派手な」といった当時の流行語のようなものであった。

代表的な人として、佐々木道誉(ささきどうよ、高氏とも)、高師直(こうのものなお、高階師直とも)、土岐頼遠(とき よりとお)である。
彼らは、社寺に放火したり、土岐に至っては、笠懸の帰りに行き会った光厳上皇の牛車に対して、酒に酔った勢いに任せて「院と言うか。犬というか。犬ならば射ておけ」と罵って牛車を蹴倒すなど、狼藉者的なふるまいをしている。しかし、和歌を詠み和歌集に歌を残すなど文化的な側面もあった。


この時代に生きた人たちも、いったい何が正で何が偽であるかわからないまま、戦乱の世の中で、自分の一族が生き残ること、その日を生きることを精一杯にやってきたのだ。そのような最強の逞しい日本人がいた時代である。


南北朝時代の当方の遠祖のことを調べるうち、この本にたどり着いたが、南朝方についた当方の遠祖もなんとか生き残り、現代の私につながるのかと思いはせた、楽しく読めた1冊である。


メモ
佐々木道誉の婆娑羅ぶり
腐敗しなにかと抵抗勢力となった延暦寺を焼討して、その一方、時宗を保護し情報収集をしていた。
花道、香道、和歌、連歌などにも通じていた。
新田義貞を討った斯波高経(しば たかつね 足利高経)の鼻を明かすために盛大な花見を大原野勝持寺で催す。
道誉は高経の3男の叔父である。
道誉と高経は、反目し、失脚し、もと南朝方の杣山城に入った斯波高経であったが、杣山城で死去するのも歴史の因縁を感じる。


倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々 - 倉山満
倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々 - 倉山満

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