鷹山遺跡群(星糞峠) を探訪する (beret-expedition 2007 §6)

いよいよ今回のメインテーマである
黒曜石の採掘地を探訪する。
場所は長和町(旧大門町)鷹山に
星糞峠という奇妙な地名がある。
ここが縄文人が黒曜石を3万年にわたり採取したという場所である。


大門街道から山道を登ると、スキー場のある高原に出る。
夏のスキー場は人気がなく寂しいが
いかにも縄文人が好みそうな高原地帯である。


高原の奥まったところに「黒曜石体験ミュージアム」があり
そこでまず予備知識を仕入れる。


最も古い黒曜石の石器は3.5万年前のものである。
それ以降、古墳時代の鉄器が使用されるようになるまで
延々と2.8万年間、狩猟や加工の道具の原材料として使われてきた。

日本国内の黒曜石産地は限られていて、主だったところは
 北海道 白滝
 東北 男鹿、月山
 神津島
 信州 八ヶ岳(麦草峠)、和田峠(男女倉)、星糞峠(鷹山)、霧が峰、
 隠岐島
 大分 姫島
 佐賀 腰岳
といったところだ。

ここ星糞峠の黒曜石は、黒曜石の時代2.8万年にわたり
採掘されてきた


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これは展示品の黒曜石の鏃だが宝石のように美しい。
縄文人が日々の糧を得るための道具と呼ぶにはもったいない。
確かに、星糞峠産の黒曜石は良質で
長年にわたり採掘されたことが理解できる。


「黒曜石体験ミュージアム」の隣には
「明治大学黒曜石研究センター」があり
結構、立派な建物で
研究員が1名常駐しているという力の入れようである。




さて、遺跡はここから30分ほど山道を登ったところにある。
ウッドチップで整備された山道を登ると
汗が出始めたころ、鞍部の「星糞峠」に出る。



この峠の右手が黒曜石採掘遺跡である。
初めてのものからすれば、何の変哲もない山の斜面である。
しかし、併設されている案内板を見て、
初めてここが大変な遺跡であると実感する。

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なんと、星糞峠から標高差100mほどの斜面に沿って
200個ほどの黒曜石採掘の竪穴の痕跡が見られる。

その全貌がわかるように
峠の休憩所に、竪穴をピンで記した地形模型があったので撮影する。
白い点がすべて竪穴の跡だ。

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園路で整備されているところはまだ勾配がゆるいが
その上は、20°もあろうかと思われる急な斜面に採掘穴が点在する。



現地はどうなっているかといえば
よほど注意しないとその痕跡は発見できない。
親切に採掘穴の場所には
番号を付した白杭が立ててあるので
やっとそれがわかる。

比較的わかりやすいものを撮影した。

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確かに、自然地形とすれば奇妙な窪地が見れる。
今は下草が刈り込んであるので判別できるが、
普通の山中では見逃してしまいそうである。

ベレー帽2人組は、「ほー」という感嘆符しか出ない。

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これは、急勾配部の斜面の様子である。
たしかに自然地形にしては、階段状の人為的な痕跡が見れる。
これがすべて、縄文人が黒曜石を地中から掘り出した土手の跡である。

これからさらに、標高差80mほどの虫倉山山頂まで
遺跡は広がっているのだが
時間も体力もなく、引き返すことにする。



帰り道、目を凝らすと、あちこちに黒曜石の破片が点在している。

この鷹山遺跡群には
この星糞峠の黒曜石採掘跡のほかにも
ふもとの追分集落には、
黒曜石の加工工房と思われる遺跡が点在する。

この遺跡での活動期間は
旧石器から縄文時代を全体的にカバーする
約3万年間と言われるから、
それが間断的にあるにしても
今では考えられない長期間にわたり
黒曜石製品の生産地であったことになる。

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勝手な解釈だが
ここに縄文人が常駐して、
専門的に黒曜石製品を生産していたとは考えにくい。
おそらく必要なときに、近傍の各地から
採掘と一次加工のためにやってきて
必要量を持ち帰っていっていたのではないか。


いずれにせよ、
はるか3万年の時を経た
縄文人が黒曜石を採掘した痕跡を
見れたことは、大きな感激であった。









下記の書籍は鷹山遺跡を探訪する人にとって、よいガイドブックになるだろう。


黒耀石の原産地を探る・鷹山遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」別冊)

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